2020年12月17日

志賀さんとのお別れ

その日は必ずやって来る、と解っていてもお別れは悲しいものです。
志賀さんがお亡くなりになりました。
「悲しい」を上回る「寂しさ」と「心細さ」を感じました。
何時、どういう場面で初めてお目にかかったのか記憶にないくらいに自然にお声を掛けて下さり、恐縮しながらも楽しい時間を頂きました。
夏期学校同窓会が発足しお手伝いすることになり、夏期学校委員にそして常任理事にと、その都度「していただけませんか?」と優しくお声かけくださいました。あまりにも自然におっしゃるので、「はい。」とお答えしてしまいました。
経験、年齢、立場などに拘ることなく「同志」として常に接してくださいました。
思案に行き詰り、お電話すると丁寧にお話して下さいました。
これから、どうすれば良いのでしょう…。
大先輩たちは、皆さま同じ目線で接してくださいました。
これからの方たちに、先輩たちがお示し下さったことの何十分の一でも伝えることが出来るのか、と思うと心細さを感じてしまいます。
志賀さん、備後屋の岡田さん、富山の水木さん…あちらの世界は楽しそうですね。
先にいらした方たちに現状をお話される志賀さんが思い浮かびます。
常に前向きだった志賀さん ありがとうございました。
小市璋子(上田民藝協会)
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2020年12月12日

日本郷土玩具の会 中村会長の新刊『厄除け郷土玩具』

 当協会の例会で何度もお話をしていただいた日本郷土玩具の会会長、中村浩訳氏の新刊である(浩訳は「ひろしやく」でなくて「ひろのぶ」)。本の名前が『厄除け郷土玩具』、頭に「厄除け」を持ってきたのが味噌で、中村氏なのか編集者なのか知恵のある人はいるものである。表紙に「疫病退散!」の文字、見返しが朱で疫病除けの色、さらに扉にも「疫病退散!」、装丁も狙ったものだ。
 内容は、表紙に「古来から伝わる縁起物186品」「入手先・由来・ご利益のすべてがわかる」と書いてある通りである。郷土玩具はもともと庶民の何らかの信仰や願いを反映させたものというから、つまりは縁起物ということである。たいがいの場合そのことは忘れられているようだが、それにしても現に作られていて入手可能なものがこんなにもあるということに驚く。知らないものも多い。それらの全体的な印象は、きれいに作られていて元々のヘタウマ的な良さは薄れているのだが、みな愛らしい、カワイイのである。-----私のような老人がこんなことを言うのも気持ち悪いが。

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 それぞれの玩具は、見開きで右ページに写真、左ページに由来や現状など知識がふんだんにつまった解説で紹介されている。これを読めばそれぞれの玩具の縁起物たる所以をも知ることができる。繰り返しになるが、郷土玩具の類がまだこんなに残っていて、しかも入手できることに感心する。
 見開きの写真は「木の葉猿」で、これを作っている永田家は熊本民藝協会の会員である。奥様は歌がとてもうまい。
見て楽しい、読んでためになる本です。パンフレットをいただいているので、お知らせ下さればお送りします。
 誠文堂新光社 2020年11月発行。1800円+税
(藤田)

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2020年12月08日

志賀さん旧蔵の小壺

 我が家に鎬手の黒釉小壺がある。二十年程前だろうか、銀座たくみの「蔵出し市」で購入したものだ。「たくみ」の取扱商品としては珍しく、新作ではなく、王朝時代十九世紀末の琉球壺屋で焼かれた小品である。口に多少のほつれはあるものの、素晴らしい姿の優品であったことから、即座に購入を決めた。
 壺屋黒釉鎬手の小壺は、一般的に対瓶型(ついびん)の物が圧倒的に多い。しかし「たくみ」で売られたものは、非常に数が少ない珍しい形状の物であった。勝手なことを言わせていただくが、恐らく柳先生や濱田が存命ならば、必ず手にする一品だと思っている。

 こうして私は、この小品を喜んで手にしたわけだが、何とこの小壺を放出したのが志賀さんであった。そして店に居合わせた志賀さんの話が、ここから始まった。恐らく志賀さんの話は、長くなることを皆さんご存じだろう。左右左と横道にそれながらの話が始まった。結局、志賀さんが言うには、「東京都民芸協会であったか、関係の人と乃木神社の骨董市を覗いてみた。すると壺屋の鎬手の小壺がある。店主にあれこれ言って値切って買ったものだ」との内容であった。恐らく鎌倉に転居される前であったのか「あることも忘れていたので、好きな人に楽しんで貰いたいと思って出した。神保君が買ってくれたの」と買った私以上に喜んでいただいた。


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手前が志賀さん旧蔵の小壺。壺屋焼き 黒釉鎬手対瓶 19c

 その後、この小品は、恒例とする私家版年賀状の図版に採用した。この際も、年明けに「たくみ」を尋ねると、「今年は、私が持っていた壺屋の年賀状を戴いた」と嬉しそうに話をされたことを思い出す。
我が家に来て以来、地味なものではあるが、志賀さんの思い出と相まって益々愛着がます小品である。

神保 郁夫
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2020年12月02日

志賀直邦さんの冥福を祈る

 二〇二〇年令和二年九月十五日 九十歳の齢で旅立たれた志賀さん、 将に卒寿を祝った写真に見たそのお顔と表情はかなりお痩せに成られてはいても、奥様や娘さんと共に、微笑みを浮かべて幸せそうでした。それからひと月ほどで、黄泉の国へ旅立たれるとは思ってもいませんでした。
 何故か、何方も「志賀会長」とか「社長さん」と私達協会員は云いませんでした、常に「志賀さん」、と呼び慣れていました。
 またどんな切り口からでもお話は始まり際限なく続き、打ち切るのが難しい方でした。何かまだ声が聞こえてきそうな気がします。
 志賀さんから民藝と民藝運動を抜いたら何も残らないのでは?と思うほど「たくみ」と東京民藝協会とに人生をかけられ、たくみの使命に背くことなく尽くされ、書「民藝の歴史」を著わすほど多くの民藝人と交わった方です。あれほどの交際や繋がりをもってしかも皆さんから憎まれず、穏やかに愛された方も居られないのではと思います。
 「たくみの社長と東京民藝協会の会長は生涯続ける、島岡さんからそう言われてね」と事あるたびに嬉しそうに誇らしげに言い、「佐藤君、李下に冠を正さずの格言のように、自ら律して行かねば、人の批判は出来なくなるよね」と遂に乞われても組織の上に決して立とうとしなかったのは、私は「見事な意志力だ」と感心したのを忘れません。貴方には貴方なりに生涯守る物と譲れないことが有って芯がしっかりしてぶれなかったと思います。もうお逢いできないのはさびしいのですが。私なりに人となりを勉強させて頂きました。
 今は、天国でたくみへの入社を後押ししてくれた柳宗悦さんや民藝の第一・第二世代、の先生方とお会いし、談笑されて居られるかもしれませんね。志賀さんのことです、広く後顧の憂いが無い筈はないと思います、しかし不甲斐ない私達ではありますが、その憂いが一つでも消えるよう未来に努めようと思います。長い間のお勤めご苦労様でした。ご家族のみなさんに見守られて旅立たれたのは不幸中の幸いと想います。
 志賀さんのお人柄に感謝申し上げ、追悼の言葉といたします。
令和二年十一月三十日

佐藤阡朗

posted by 東京民藝協会 at 18:46| Comment(1) | その他