2019年10月05日

9月例会「沖縄の陶器」神保郁夫氏

 9月27日(金)、銀座たくみで例会を行った。沖縄の陶器の蒐集家、研究家の神保郁夫さんにお話いただいた。----神保さんは「俺は研究家ではないよ」とおっしゃっているが。参加者は15人、たくみの皆様にお世話になった。
 神保さんの蒐集歴は30年くらいになるそうで、その一部の写真を拝見したが、素人目にはすごいものばかりで、私の感想は「金使ってる」であった。(もちろん金を使えばいいものが集まるというわけでもないのだが)今回はそのうちのほんの一部の、10個ばかりの「マカイ」を持ってきて下さった。

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 さて、お話の内容をかいつまんで紹介する。沖縄の陶業は17世紀に薩摩から朝鮮人陶工が派遣され、上焼き(施釉陶器)を焼くようになり発展した。当初、湧田ほかにも窯があったが、後、壺屋に統合されていよいよ盛んとなり、いまに至っている。壺屋は今観察してもわかるように丘陵地で、登り窯を築くのに都合がよかったし、港や河川、首里王府とも至近距離であったからである。明治以後、日本本土の磁器が大量に輸入されるようになって衰退、これに対抗して明治期には南蛮写しの茶道具を、そして大正期から昭和前期にはいわゆる「古典焼き」を製作して命脈をつないだ。古典焼きについては周知のように柳らは否定的で、その影響もあってか近年まで忘れられた存在であった。
 しかし、現在の沖縄陶器の技法の特色である厚い胎土、比較的深い線彫りや掻き落としなどは、実はこの古典焼きの影響ではないか。つまり、現在の沖縄陶器は、柳や河井、浜田の指導のほかに、この古典焼きの影響を受けて成立したのではないか、と考えている。

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 戦後、壺屋は焼け残って、沖縄復興の拠点となった。金城次郎もひところは土管や碍子を焼いたという。壺屋はやがて那覇の都市化にともなって、----特に「黄金の100マイル」と称される「国際通り」に隣接していたことから、昭和40年頃から公害の発生源と指弾されて、登り窯を焼けないようになった。そこで金城次郎などが他所、読谷村に移転することになる。これが復帰の年、昭和47年のことである。読谷にはその後、大嶺実清、山田真萬、松田兄弟などが次々に築窯、大産地となった。
 民藝の方々はとかく読谷方面に眼を向けがちだが、壺屋に残った小橋川家(仁王窯)や新垣家の功績も忘れられてはならない。両家は、今現在沖縄の窯業を支える多くの人材を輩出している。
 沖縄の陶器は、島内の需要に加えて全国的に流通し、かつ観光客の購入も多いので日本の窯場のなかでは珍しく生産量が増えていて、新規参入の陶芸作家も増加している。

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-----とこんな内容だった。来月10月25日(金)にお話の続きがある。
(藤田)



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次回10月の例会

○東京民藝協会2019年10月例会
日本民藝館「柳宗悦と古丹波」展見学

日 時 2019年10月19日(土) 14時〜15時ころ
場 所 日本民藝館 入口あたりに集合
解 説 杉山亨司氏(日本民藝館)
参加費 500円 (会員以外は1000円)*入館料別途
定 員 20人位(会員優先/先着順)
参加申込 下記のメールに10月18日(金)まで
tokyomingeikyokai@gmail.com

日本民藝館で現在開催中の「柳宗悦と古丹波」展(〜11月24日まで)の見学会を行います。
展示担当の杉山氏に、企画趣旨や展示作品などについて解説していただきます。
-----なお、「民藝」誌の9月号がこの展示に関連した特集号(「古丹波の美」)です。

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2019年09月24日

相模原市で尾久彰三さんの展覧会

〇9月20日(金)〜10月10日(木)  月曜日休館
午前9時30分から午後4時30分まで
〇小原の里 相模原市緑区小原711-2 電話1(プッシュホン)042-684-5858
〇JR相模湖駅より徒歩20分
JR相模湖駅前2番バス停にて桂橋経由三ヶ木行きバスに乗車、小原バス停下車徒歩2分
〇中央自動車道八王子方面より相模湖東出口(下り専用)
中央自動車道大月方面より相模湖I.C

*9月29日(日)午後2時から、尾久さんの解説があります。

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2019年09月15日

多津衛民芸館『平和と手仕事』24号

 民藝ブームのようである。しかしこれは実に危ういものだ。民藝を云々していられる結構な時間がいつまで続くものか、「薄氷のうえのブーム」だと思えてならない。
 例えば、あと一回原発が事故を起こしたらどうなるか。『原発ホワイトアウトアウト』(若杉冽著、2013年、講談社)という本がある。某国の工作員が、山の上にある送電線の鉄塔を破壊する。新潟某所の原発の電源喪失、大雪に阻まれて対応策が機能しない------と、よくできた設定で、しかもあっておかしくない話である。最近某国が盛んにナントカ飛翔体を飛ばしているが、それが飛んできても同じようなことだろう。今の日本は、《福島の悲劇に懲りなかった日本人は、今回の新崎原発事故(架空の場所----藤田注)でも、それが自分の日常生活に降りかからない限りは、また忘れる。喉元過ぎれば熱さを忘れる、日本人の宿痾であった。》という著者のいう通りになっている。
 心配事はそればかりではない。農業、林業分野においても、地域の過疎化、従事者の高齢化と後継者難、人手不足、そして(外国では禁止されている)除草剤の使用や遺伝子組み換え作物の自生化など、命と国土の存続そのものさえ危うくする事態が進行中である。------と、大きく出てしまったが、まじめに考えると夜も眠れない。私の場合は、俺だけは大丈夫だろうと都合のいいことを思って気楽に暮らしているのだが。

 小林多津衛民芸館という施設が長野県の佐久市にあって、ここが年1度『平和と手仕事』という雑誌を発行している。24号がこの9月に発行されて拝見した。今号は「過疎地に生きる若い世代」という特集で、佐久上田あたりに住む農業従事者ほかいろいろな若者の暮らしぶりを伝えている。
 こういう若者がどれくらいいて、実際の市なり町なりの全体にどの程度の影響を及ぼしているかは分からない。また、佐久は東京に近くて移り住むには比較的便利なところだろうから、こういうことが全国的に起こっているとは考えにくいだろう。何百年も続いてきた都市への集中という勢いを転倒させることは本当に難しい。国全体の大きな構想が必要なのだが、政府は外国人労働者の受け入れという禍根を残しかねない場当たりの対策しか考えていない。国全体がナントカナルダロウと今の繁栄に安住しているのだ。冒頭の本の著者が言う通りである。であれば、他力本願で無責任なのだが、こういう若者の出現に期待するしかないのかもしれない。ともかく、田舎、過疎地にもいろいろな生活の場がありそうなことを教えてくれる特集であった。

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 この雑誌はおよそ180ページあって、大変な時間と手間がかかっている。これを24号も、つまりは24年も発行し続けていることは大変なことである。「平和と手仕事」という書名からは民芸館とこの雑誌の願いが伺える。民芸館は、3年ばかり前に夏期学校が開かれていてご存知の方も多いと思うが、望月という旧中山道の宿場町の郊外にある。山の上の気持ちのいい場所に建っている。

多津衛民芸館 〒384-2202 長野県佐久市望月2030-4 電話1(プッシュホン)0267-53-0234
(藤田)

posted by 東京民藝協会 at 18:51| Comment(0) | その他