2018年12月03日

生誕三百年 木喰展 (身延町なかとみ現代工芸美術館)の見学会に参加して その2

 9/16の日曜美術館の放送を観て「ぜひ、行きたい!」と思っていた山梨県身延町なかとみ現代工芸美術館で開催の木喰展。ちょうど同じタイミングで届いた東京民藝協会のお便りに木喰展見学のお誘いのチラシが同封されており、お声掛け下さった大島さんたちとご一緒させていただくことになりました。

 当日、あれほど楽しみにしていたのにもかかわらず、予約していたバスに乗り遅れてしまうという大失態を犯してしまいました。次のバスも予約でいっぱいでキャンセル待ちをしたところで乗れるかどうかは不明。一瞬頭が真っ白になりましたが、ならばと電車で行くことに。バスターミナルから15分後に出発する松本行きのあずさに飛び乗り、甲府まで。その後美濃部線というローカル線に乗り換え、美術館の最寄駅で出会った方たちに相乗りさせていただきました。

 そしてようやく展覧会場となるに到着。以前柚木先生の展覧会のお手伝いでお会いしたことがある方以外は「はじめまして」の方ばかり。初めてなのに遅刻して...恥ずかしさで穴があったら入りたい気分でしたが、皆さん、「大変だったわねぇ」と笑いながらも温かく迎え入れて下さいました。道路が渋滞していて皆さんもちょうど着いたところでした。

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期間限定の「木喰おろしそば」

 さてようやく展覧会会場へ。1度目はそれぞれ自由に鑑賞。お昼を挟んで2度目の鑑賞は日曜美術館の放送でも登場されていた身延町教育委員会主査・深沢広太さんが案内して下さいました。今回案内いただけたのは、訪問にあたり、幹事の大島さんが「美術館の方から2・3つお話が聞けたらありがたい」とお願いして下さっていたお蔭です。深沢さんは考古学がご専門で、普段は別の場所で勤務されているとのことでした。とても気さくな方で、自己紹介も「日本民藝館の館長さんと同じ苗字なんですよー」とお互いの共通点を見つけて距離感を縮めていくような配慮を感じました。

 コンパスを使用して描いたという阿弥陀如来図の光背(目を近づけて見てみると小さな穴が確認できました)お堂に集まっていた人たちがお酒に酔っ払った勢いで髪の毛を塗ってしまった木喰像、柳宗悦先生が木喰の子孫である伊藤家に宛てた手紙など一度目はサラーっと見てしまった作品が、深澤さんの解説によって深く理解出来るようになりました。その中で一番心に残ったのは、すり減って顔がなくなっていた木喰像。冬にこどもたちがソリ替わりにして遊んだようで、周囲の大人もそのことに対して誰も咎めなかったこと。仏像というと、うやうやしく祀られているイメージがありましたが、木喰像に限ってはおそらくとても身近な存在だったのではないかと。子どもたちが楽しそうに遊んでいる光景を木喰さんがニコニコしながら見守っているようなそんなシーンが頭の中に浮かびました。

 会場内を歩きながらふと思ったのが、木喰さんは61歳から仏像を彫り始めたとのことですが、それ以前は何も彫る機会がなかったのでしょうか。61歳でいきなり仏像を彫れるなんてすごいなぁと。機会があったらお尋ねしたいです。
近藤惠美
posted by 東京民藝協会 at 19:09| Comment(0) | レポート

2018年12月01日

次回の例会

○東京民藝協会2018年12月例会
日本民藝館展 見学

日 時 2018年12月15日(土) 11時〜
場 所 日本民藝館 入口あたりに集合
参加費 500円(会員以外は1000円、入館料は別途)
定 員 25人位(会員優先/先着順)
参加申込 下記のメールに12月14日(金)まで
tokyomingeikyokai@gmail.com

例年のように日本民藝館展が12月9日(日)から23(日・祝日)まで開催されます。
西館の公開日と重なるので、お茶や昼食はできませんが、ご参加下さい。

posted by 東京民藝協会 at 20:17| Comment(0) | 例会

2018年11月17日

生誕三百年 木喰展 (身延町なかとみ現代工芸美術館)の見学会に参加して

天候にも恵まれ、又民藝協会ならではの解説をしていただき、とても充実した1日でした。ありがとうございました。
木彫の仏とじっと対面していると顔の表情が動きだし、何か云って下さっている様でしたが、まだまだ聞き取れず、老後に向かって(今真っ盛り中ですが)画集と対面したり、古本屋で以前手に入れていた柳宗悦著の「木喰さん」を少しずつ読んでみようと思っています
(鈴木祝子)


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posted by 東京民藝協会 at 18:43| Comment(0) | レポート

2018年11月13日

手元の郷土玩具(20) 和歌山の瓦猿・瓦牛

 広島から京都へ向かうのに、和歌山に立ち寄るというのはおかしな話かもしれないが、東海道−山陽新幹線で行き来ばかりしていると、思い切って時間を見つけなければ、和歌山まで足を延ばせない。
 和歌山へ出かけたのは、かの地の郷土玩具・瓦猿と瓦牛をいただくためである。
 JR和歌山駅から徒歩10分ほどのところに、この玩具を扱う野上泰司郎さんのお宅がある。
 「扱う」と書いたのは、野上さんのお宅では、この瓦焼きの人形を焼いているのではなく、彩色と販売管理だけを行っているからである。


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古い瓦猿たち

 野上さんのお宅のある地域は元は「瓦町」で、野上家も昔は瓦を焼いていたそうだが、街中でもあり、先代で瓦を焼くのをやめてしまわれたそうだ。ただし、江戸後期から作られているという伝統の瓦猿・瓦牛を守るため、近年まで大阪南部の泉州瓦の窯元に焼成を依頼していた。しかし、阪神大震災や台風などでの被害から、瓦屋根を使う家が急速に減り、依頼できる窯元もなくなったため、今は淡路島で鬼瓦などを専門に作る瓦屋さんに依頼して焼いてもらっているのだという。
 猿と牛の色が鈍い銀色なのは、「いぶし瓦」という製法による。インターネットで調べると、いぶし瓦とは「釉薬を使わず焼成した後に、空気を完全に遮断して「むし焼き」にする「燻(いぶし)化工程」が特徴です。焼成時に炭化水素ガスを接触させることで、瓦の表面に銀色の炭素膜を形成します。」とのこと(株式会社 田内設計のHPより引用)。
 まさに、銀色に輝く瓦屋根の色そのものである。

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瓦猿の石膏型

 型は石膏の二枚型で、瓦屋さんに依頼して型抜き・整形・焼成までを行ってもらう。牛は無彩色だが、猿は顔と手に持つ桃に、奥様の喜美子さんが「べんがら」で彩色する。3回くらい重ねて塗らないと、しっかりした色が出ないそうだ。
 石膏型は、ある程度の数の人形を抜くと劣化するので、何度も作り変えてきた。多少の大きさの差はあるが、歴代の人形の姿かたちは昔からほぼ変わらない。

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彩色用のべんがら

 瓦猿は安産祈願として、瓦牛は子どもの腫物治癒祈願として、市内の神社で今も奉納される。腫物のことを昔は「くさ」といい、草を牛が食べることにひっかけたものという。
 年間に100個ほどしか出ないというが、数年前に無印良品が正月に販売する「福缶」(缶詰の中に各地の郷土玩具を入れた福袋のようなもの)に採用され、その時は2500個もの注文があって、春から年末まで、淡路の窯元と共に大変だったとのこと。それでも、そのために瓦猿が知られるようになり、時々、遠くから買い求めに来る人がある。
 例えば、妊娠中のご夫婦が安産のためにと買いに来て、その後、「おかげで無事に安産できた」とのお礼状が届いたとか。また瓦牛も、アトピーを患った人が買い求めに来たそうで、瓦牛のひんやりとした肌触りが気持ちいいと言われたという。
 何ら科学的な根拠のない素朴な人形に、今も願いを籠める人。日本人の小さな信仰心が今も根付いていることに、ちょっと安堵したような気持ちになる。


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瓦牛(左)と瓦猿

 江戸末期に和歌山で暮らした女性の日記『小梅日記』の、文久元(1860)年3月の項に、瓦猿を孫の安産の御礼参りで奉納する記事があり、喜美子さんは「確かに江戸時代からあったものと確信できた」という。和歌山県下でも大半の郷土玩具が姿を消した今、野上ご夫妻はこの瓦猿と瓦牛を、何とかして次の時代にも繋げていきたいと言われていた。
 子を産む女性や病いにある人を守る玩具と、その玩具を守る人。いささか長居をしてしまったが、穏やかなご夫婦の優しさと、長く愛されてきた玩具をお土産に、帰り道の心の中は暖かかった。

※野上さんのHP http://www.kawarazaru.com/
(千葉孝嗣)



posted by 東京民藝協会 at 12:06| Comment(3) | その他