2018年01月28日

稲垣えみ子『もうレシピ本はいらない』

 ブログに新しい記事がない。去年の11月24日付けの楠本さんの記事が最後で、これでは紙の「たより」を白紙で出すことになってしまいます。でまた駄文を投稿します。

 おととし、協会の全国大会で、料理研究家の土井善晴氏に講演をしていただいた。氏はこのところ「家の飯は一汁一菜でよろしい」あるいはそれが基本という説を唱えていて、講演もそういう内容であった。毎回具だくさんの味噌汁ではかなわないなあ、栄養が足りるのかななどと思ったが、その精神には目を開かれた。テレビや雑誌はうまいもの変わったものを探して血眼である。他方、子供の6人に1人が貧困でご飯も満足に食べられないという。土井説には、この極端な落差に対する批判がすこし込められているかもしれないし、食と人生という問題に踏み込んでいるかもしれない、と考えたからである。
 先達て『暮らしの手帖』(何号か忘れた)を覗いたら、土井の「汁飯香のある暮らし」という連載記事があった。ここで彼は、家庭料理と料理屋の料理は違うんだ、家庭料理はご飯を食べるための料理、料理屋の料理は酒を飲むための、金をとるための料理、家庭料理が料理屋の料理を真似することはない、と言っていた。

 さて、稲垣えみ子著『もうレシピ本はいらない』は、この一汁一菜の中身を具体的に示したいわば指南書で、かつ哲学的?レシピ本である。稲垣は3.11をきっかけに朝日新聞の論説委員という高級な地位をすてて無職になったという豪傑だ。――無職といってもそのエネルギー節約生活のことやらをあちこちに書いていて、相当忙しい文筆業者になっているだろうが。
 この本はその稲垣が実践している毎日の食事を紹介したものである。基本はご飯(実際は玄米ご飯)とみそ汁、漬物(特に糠漬け)で、文字通り一汁一菜、これが金も時間もかからないうえに実にうまい、という。材料は旬のもの、調理道具や調味料は最少、火力はカセットコンロ1台で冷蔵庫はない。食費は月に2万円で十分、これで、繰り返しになるが十分うまい、と宣う。
 こんな風に書いている。《(これまでの私はゴチソウこそは明日への活力と信じ、手の込んだ世界の料理をせっせと作り、雑誌や口コミを熱心にチェックしては食べ歩きにも膨大なお金と労力を費やしてまいりました。ところがですね、-----こんな食生活を初めてみたら、----この「超地味メシ」が走って家に帰りたくなるほどウマイんだ!-----つまりは何の手間もお金もかけずとも、実は何の苦労もなく「食っていく」ことができるんですよ。しかも最高にウマイものが。だとすれば----あれ、人生って何なんだろう。私はなんのためにこれまで苦労したり我慢したりしてきたんでしょうか?》と。そして更に《私が会社を辞めて自由の身になることができたのは、貯金があったからでも、何か特別な才能があったからでもない。それは料理ができたからだ。そしてそれは、全然キラキラした料理なんかじゃない。簡単で、質素で、誰でもできるワンパターンの料理だ。そしてそれを心から美味しいと思える自分に気づいたのである。そうなんだ。私は生まれて初めて「自分が本当に美味しいと思うもの」を発見したのである》
 ここで稲垣は、食生活から出発して生き方に踏み込んだ話をしている。レシピ本には違いないが並みのレシピ本ではない。「ご飯とみそ汁、漬物に自分が本当に美味しいと思うものを発見した」とは、意味深い言葉ではないか。この考えを民藝の世界に及ぼすとどうなるのか、我が能力を超えそうなのでここで中断。

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 話は飛ぶが、無印良品の「おこげ」という土鍋を買った。火に載せて噴いてきたら止めてしばらく蒸らす、水加減火加減にそう神経を使わなくてご飯が炊ける、しかもうまい。稲垣は違う技を書いていて、彼女によると、最初蓋をしないで強火、湯が表面ぎりぎりまで蒸発したら蓋をして弱火だそうだ。なるほどこれなら水加減は適当でいい訳で、初耳の方式であった。飯の炊き方にもいろいろあるものである。電気釜以外で、これぞという炊き方をご存知の方は教えて下さい。
(藤田)

posted by 東京民藝協会 at 17:24| Comment(0) | その他