2018年11月17日

生誕三百年 木喰展 (身延町なかとみ現代工芸美術館)の見学会に参加して

天候にも恵まれ、又民藝協会ならではの解説をしていただき、とても充実した1日でした。ありがとうございました。
木彫の仏とじっと対面していると顔の表情が動きだし、何か云って下さっている様でしたが、まだまだ聞き取れず、老後に向かって(今真っ盛り中ですが)画集と対面したり、古本屋で以前手に入れていた柳宗悦著の「木喰さん」を少しずつ読んでみようと思っています
(鈴木祝子)


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2018年11月13日

手元の郷土玩具(20) 和歌山の瓦猿・瓦牛

 広島から京都へ向かうのに、和歌山に立ち寄るというのはおかしな話かもしれないが、東海道−山陽新幹線で行き来ばかりしていると、思い切って時間を見つけなければ、和歌山まで足を延ばせない。
 和歌山へ出かけたのは、かの地の郷土玩具・瓦猿と瓦牛をいただくためである。
 JR和歌山駅から徒歩10分ほどのところに、この玩具を扱う野上泰司郎さんのお宅がある。
 「扱う」と書いたのは、野上さんのお宅では、この瓦焼きの人形を焼いているのではなく、彩色と販売管理だけを行っているからである。


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古い瓦猿たち

 野上さんのお宅のある地域は元は「瓦町」で、野上家も昔は瓦を焼いていたそうだが、街中でもあり、先代で瓦を焼くのをやめてしまわれたそうだ。ただし、江戸後期から作られているという伝統の瓦猿・瓦牛を守るため、近年まで大阪南部の泉州瓦の窯元に焼成を依頼していた。しかし、阪神大震災や台風などでの被害から、瓦屋根を使う家が急速に減り、依頼できる窯元もなくなったため、今は淡路島で鬼瓦などを専門に作る瓦屋さんに依頼して焼いてもらっているのだという。
 猿と牛の色が鈍い銀色なのは、「いぶし瓦」という製法による。インターネットで調べると、いぶし瓦とは「釉薬を使わず焼成した後に、空気を完全に遮断して「むし焼き」にする「燻(いぶし)化工程」が特徴です。焼成時に炭化水素ガスを接触させることで、瓦の表面に銀色の炭素膜を形成します。」とのこと(株式会社 田内設計のHPより引用)。
 まさに、銀色に輝く瓦屋根の色そのものである。

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瓦猿の石膏型

 型は石膏の二枚型で、瓦屋さんに依頼して型抜き・整形・焼成までを行ってもらう。牛は無彩色だが、猿は顔と手に持つ桃に、奥様の喜美子さんが「べんがら」で彩色する。3回くらい重ねて塗らないと、しっかりした色が出ないそうだ。
 石膏型は、ある程度の数の人形を抜くと劣化するので、何度も作り変えてきた。多少の大きさの差はあるが、歴代の人形の姿かたちは昔からほぼ変わらない。

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彩色用のべんがら

 瓦猿は安産祈願として、瓦牛は子どもの腫物治癒祈願として、市内の神社で今も奉納される。腫物のことを昔は「くさ」といい、草を牛が食べることにひっかけたものという。
 年間に100個ほどしか出ないというが、数年前に無印良品が正月に販売する「福缶」(缶詰の中に各地の郷土玩具を入れた福袋のようなもの)に採用され、その時は2500個もの注文があって、春から年末まで、淡路の窯元と共に大変だったとのこと。それでも、そのために瓦猿が知られるようになり、時々、遠くから買い求めに来る人がある。
 例えば、妊娠中のご夫婦が安産のためにと買いに来て、その後、「おかげで無事に安産できた」とのお礼状が届いたとか。また瓦牛も、アトピーを患った人が買い求めに来たそうで、瓦牛のひんやりとした肌触りが気持ちいいと言われたという。
 何ら科学的な根拠のない素朴な人形に、今も願いを籠める人。日本人の小さな信仰心が今も根付いていることに、ちょっと安堵したような気持ちになる。


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瓦牛(左)と瓦猿

 江戸末期に和歌山で暮らした女性の日記『小梅日記』の、文久元(1860)年3月の項に、瓦猿を孫の安産の御礼参りで奉納する記事があり、喜美子さんは「確かに江戸時代からあったものと確信できた」という。和歌山県下でも大半の郷土玩具が姿を消した今、野上ご夫妻はこの瓦猿と瓦牛を、何とかして次の時代にも繋げていきたいと言われていた。
 子を産む女性や病いにある人を守る玩具と、その玩具を守る人。いささか長居をしてしまったが、穏やかなご夫婦の優しさと、長く愛されてきた玩具をお土産に、帰り道の心の中は暖かかった。

※野上さんのHP http://www.kawarazaru.com/
(千葉孝嗣)



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2018年11月01日

10月例会報告のようなもの

 10月5日(金曜日)、べにやさんをお借りして例会をやった。参加者が20人を超えるという盛会、會田協会長や福岡の高木さんもご参加下さった。
 会員の澁川祐子さんが講師で、「民藝と食」と題したお話であった。澁川さんには『オムライスの秘密メロンパンの謎』(新潮文庫 29年2月発行)という著書がある。その表紙カバーの後ろの著者紹介によると《フリーのライターとして活動するかたわら、「民藝」にも携わる。近年は食や工芸のテーマを中心に執筆》とある。
 この本は、ライスカレー、コロッケ、ナポリタン等々、我々がいま普通に食べている料理の起源と現在までの変化、展開を明らかにしたものである。前書きに執筆の方針として「文献によって事実を明らかにしようと努めた」と書いておられる。元祖や創家、本家の話を直接聞いてまわっても事実に到達できるとは限らないからもっともなことではあろう。だがかなり手間のかかる仕事になる。多分澁川さんは幕末以後に刊行された膨大な料理本、新聞等々に一通り目を通したことだろう。国会図書館や大宅文庫に日参したのではないか。それくらいでないと28もの料理に関する初出文献を探しだすことは難しい。事実《そんな疑いを抱きながら、明治時代から戦後の1960年代までの料理本をしらみつぶしに調べてみることにした》なんて平気で書いている。
 そしてその過程で、今回の話題「民藝と食」に関わるネタも、------吉田璋也が考案したとされるしゃぶしゃぶは当然のこととして、拾えたのではなかろうか。労作である、そして面白い。

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 さてお話である。柳らは食べ物に、特に収集の旅の途中であった地方の食べ物にそうとうな興味をもって、それ等についてよく記録しているという。同人それぞれの食べ物とのかかわり方が「甘党の柳宗悦」「和食通のバーナード・リーチ」「土地の味を大切にする濱田庄司」「京都の老舗を愛した河井寛次郎」「民藝と食を結び付けた吉田璋也」というふうにまとめられ、エピソードが紹介された。これらは多少知られてはいるのだろうが、このように一つの側面からまとめられるとまた興味を引くものである。------柳は歯が悪くなかったのかな。

 それから、柳田国男と柳の(ただ一回だけの)対談が紹介された。『月刊民藝』13号(昭和15年)の「民藝と民俗学の問題」に載ったものである。地方の食べ物について話している部分であるが、以下の柳田の発言が興味深い。
 《柳田 田舎の食物は普段は非常にぞんざいなものを食べている。そうしておいて一年の限られた日だけうまいものを食べる。だからその日はとても幸福を感ずるのです。(中略)そうした時の幸福さというものは非常なものだっただろうと思いますね。いま民藝館の品物をみてつくづくそう思いました。》
 柳田はここで、「民藝館の品物は限られた日だけのものである」と言う。そして、「そう思いました」は「限られた日のためのものとして結構なものだ」という意味だろう、多分。しかしこの言い方、柳田は民藝館の品物にたいして感心していない、興味がないのではないか。「私の家は日本一小さい家だ」「飢饉を絶滅しなければならないという気持ちが自分を民俗学に駆り立てた」という柳田にとって、問題は民衆の平生の生活であって、民藝館の品物はさして関心を引くものではなかった、と読めないだろうか。

 澁川さんによると嵐山光三郎がその著『文人暴食』で、柳田はうまいまずいを言わなかった、と書いているという。すると「うまいまずいを言う柳、言わない柳田」という対比ができる、とおっしゃる。恐縮ながら、いい着眼ではないか。両者の学問のあり方、人柄さえ象徴しているかもしれないし、上記対談にも反映している気がしないでもない。
 それで『文人暴食』を覗いてみたら「柳田国男 うまいもの嫌い」というズバリの項があった。《柳田の膨大な著作は、日本人の衣食住に関する論考が一つの核であるけれども、料理の味について触れた記述は驚くほど少ない》《柳田にあっては味覚の検定は禁句であった。「うまい」と感じる喜びが、次にめざす罠を嫌ったのだろうが、-----》と書いてある。この指摘、嵐山以前にあっただろうか。それはさておき、この「罠」とはなんだろう。簡単にいって「うまい」に捕らわれていくと民俗学が脇道にそれてしまう、ということか。これと逆に「次にめざす罠」なるものを肯定したのが柳であり、民藝であったのかもしれない。

 澁川さんは最後にもう一度河井寛次郎の言葉を引っ張ってきた。《土地の人を永く養ってきた食物にはうまいとかまづいとかのほかに何か犯し難いものがある。味の中心を形作るこれは力なのである。》(『工藝』69号)穿ちすぎかもしれないが、この数行に限っていうなら河井の感受性は柳より柳田に近いのではないか。------この数行から何かを言うことは避けるべきだろうが。

 現在の日本は、全雇用者中、非正規雇用者が1/3以上になったそうで、上記対談が行われた戦前の社会構造に似てきたところがある。民藝ブームと言われつつも、民藝と縁のうすい階層、柳田の言葉を借りれば「限られた日だけうまいものを食べる」階層が大規模に出現しつつある、のではないか。

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 以上、脱線甚だしい報告である。
 澁川さんありがとうございました。
(藤田邦彦)



posted by 東京民藝協会 at 17:55| Comment(1) | 例会