2021年05月22日

清浄明潔

日本民藝館がリニューアルオープンした4月4日の朝、空には日差しもあり二十四節気の「清明」にふさわしく爽やか。気持ちが良いので早めに家を出て、のんびりと駒場へ向かう。開館前に到着。おふたりの男性が玄関周りをていねいに掃き清めている。やがて開館をしらせる銅鑼が控えめに鳴った。館内へ入るとそのまま2階の大展示室へ。新たな大展示室に入るとその柔らかな明るさと清々しさに、民藝はまだ大丈夫だと感じた。
(下飼泰弘)

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2021年05月21日

横浜で芹澤展

個人のコレクターの展覧会です。
すでに「民藝」誌5月号で紹介されていて、コレクターの来歴が書かれていますので、ご覧下さい。


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ゴールデンギャラリー
「海野コレクション 芹沢_介展」
 本展覧会の主催者は、鶴見大学図書館に入所してまもない昭和53(1978)年に国立国会図書館で開催された「本の装幀展示会」で芹沢_介の装幀本と巡り会いました。これをきっかけに装幀本を手始めに型絵染の作品など蒐集を続け今日に至っています。
 この度はこれら蒐集品の中から厳選してコレクション展として展覧会を企画いたしました。出品内容は肉筆11点、型絵染60点、私家本(絵本、挿絵本、装幀本を含む)47点の計118点の構成ですが着物等は含まれていません。コレクションとしては未完成で華々しさには欠けますが、これまであまり紹介されていないと思われる作品も一部には登場しますので是非ご覧いただきたく存じます。(主催者・記)

会 場 ゴールデンギャラリー
(神奈川県横浜市中区桜木町1-1 桜木町ぴおシティ三階)
JR桜木町駅から徒歩一分
電話045-201-7118

会 期  2021年6月4日(金)-13日(日)(10日間)入場無料
開場時間 10時-18時(最終入場は17時30分)
主催者 海野雅央【うんのまさなか】
後 援 (株)神奈川新聞社
会場にて本展覧会の図録(税込 2,200円)を販売いたします。
※お問い合わせは主催者までお願いします。
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2021年05月14日

民芸運動の担い手

たくみの志賀社長とお話しすることが叶わなくなって、はや半年がたつというのに、まだその実感がない。今でもたくみの二階に上がればお会いできるような気がするのは、きっと私だけではないだろう。志賀直哉の「なおや」に、アクセントをつけない独特の発音とともに、耳の奥底で、志賀社長のお話しがあの口調そのままに、響き続けている。
志賀社長のお名前を知ったのは、「民藝」誌上であった。学生時代に、柳宗悦の民芸運動を近代化批判のすぐれた一例ととらえて感動した私は、民芸と流通について多くの論稿を発表されていた志賀直邦さんという名前に興味を持ち、バックナンバーを見つけては志賀さんの書いたものがないかチェックしていた。この世を美で埋め尽くすには、流通、経済の探究こそが重要だと思ったからだ。
柳はいたるところで、いい使い手が問屋を変えるということを言っているし、自身も「美と経済」という論稿を残している。また、アーサー・ペンティなどギルド社会主義者の本も熟読していたというから、経済の研究も重要視していたように思う。しかし、今までの民芸運動を振り返ってみると、経済の研究はあまり活発には行われていなかったように思う。
もちろん、柳のもとに集った若者たちには、「ほんとうの世界」を求めて集まった人が多かっただろうから、経済問題の探究に深く傾倒していた人もいただろう(松方三郎などがその例であろうか)。しかし、民芸美と経済の融合を導くような動きは、現代の経済学が扱いうる範囲を超えているからか、大きな流れとはなっていない。
そんな中で、美と経済の問題を背負ったのは、たくみをはじめとする民芸店のみなさんであったと思う。特に志賀さんは、民芸の民芸たるゆえんをしめさなければならないたくみという特殊な会社の顔として、この問題を一手に引き受けておられたのだと思う。田中豊太郎時代の「民藝」誌には、雑誌の最後の方に、「たくみだより」というのが載っていて、当時のスタッフの想いがつづられているが、そこからは、たくみという特殊な会社を、給料を出さなければいけない普通の会社としても運営していかなければならなかった苦労がうかがわれる。
多くの場合、たくみに対するうるさがたへの弁明と、今後の取り組みについての表明に紙幅が割かれているのだが、「そんな程度のものを扱っていて恥ずかしくないのか」と言えばいいだけのうるさがたに対し、作り手の生活も保障しながら、なんとか格好がつく店づくりをしなければならない当事者たちは、どれだけ大変だったろうか。うるさがたは、店に行って、あがりのいい一枚を選び抜けばいいが、しかしあとにはそれには劣る数百枚の皿が残ってしまう。
志賀社長の時代にはさらに大変だっただろう。伝統的な産地にも変化が起こり、選ぶことも難しくなり、無印良品などの大資本の発注ロットに合わせる注文でないと、品物を手に入れることすらかなわないケースも出てくる。必然、柳の示した美の標準から遠くなってしまうこともあるだろう。悪貨が良貨を駆逐する現代にあって、この世を美しいもので埋め尽くすという民芸運動の悲願は達成されるのだろうか。達成されると信じたいし、それは志賀社長の悲願でもあっただろう。幸い、経済史の分野では、「神の見えざる手」ではなく、消費者の「見える手」が、経済の秩序形成に重要な役割を果たしてきたという研究が現れてきている。では、どうしたら「見える手」を形成できるのだろうか。そんなことも志賀さんとお話ししたかった。
2016年に、志賀社長が「民藝」誌に連載された「民藝運動90年の歩み 白樺の時代と、民藝美の発見、その展開」を『民藝の歴史』という一冊の文庫本にまとめさせていただいた。ほんとうはこの本のタイトルは『民芸運動の歴史』としたかった。だが、それだと読者の範囲をせばめるからということで、現在のタイトルに落ち着いたという経緯がある。
志賀さんは、史学の徒だったから、学生新聞を編集し一時期新聞社につとめられたジャーナリスティックな資質をお持ちだったから、あの本を書けたのではないと思う。民芸運動のまん中にいて、その運動の担い手であったからこそお書きになれたのではないだろうか。志賀さんの本は、歴史家やジャーナリストの叙述ではなく、当事者の記録であった。いつか志賀さんに報告できるような、続『民芸運動の歴史』の読める日が来ることを、期待している。
藤岡泰介(筑摩書房)
posted by 東京民藝協会 at 18:44| Comment(0) | 日記

2021年05月07日

モノに込められた人の「想い」 〜さる方ご愛用の桑の棗より〜

 前置きからお話すると、私は禅者の端くれ。これは所属先(禅道場)で見出した棗(茶道で使う道具)に関するお話である。さぁ、始まり、始まり。
 「『こころ』はだれにも見えないけれど『こころづかい」はみえる 『思い』は見えないけれど『思いやり』はだれにも見える」この言葉は擇木道場(所属支部の禅道場)から日暮里駅に向かう道すがら、天王寺の門前の掲示板のものである。昨年2020年の年の瀬押し迫る頃だったろうか。そのときは何故かさる方愛用の桑の棗が連想され、はっとさせられた。

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 その棗を扱う機会を得られたのは昨年2020年10月に行われた本部道場(市川にある禅道場)での茶禅一味の会である。何をするのかと言えば、茶を飲み、座禅をする会である。私は表千家の端くれで修行する身であるため、亭主として参加者をもてなす側にいた。その棗というのが、所属先の在家禅を始めて起こした方が愛用していた桑の棗である。存命の頃はこの桑の棗を毎日絹で磨いていたという。お蔭で現在も光沢が出ている。色は雀色といったら良いのか、明るいこげ茶色。普通桑のものはここまでの光沢は出ない。ちょうど茶室には桑の盆があり、双方を並べてみればその差は歴然と現われた。桑の盆は単に木地に木目が出ているだけなのに対し、桑の棗ほどの色合い・光沢はないのである。

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 モノは何も語らないが、どう過ごしてきたのかはその存在で示してくれる。雀色に輝くこの桑の棗はそれこそ毎日磨いていなければ、桑の盆と同じありきたりな存在であったろう。棗のつるつるとした肌触りを愛でながら思いを馳せる。その人は何を想って磨いていたのだろう?と。ただただ毎日の習慣としてそれこそ無心に磨いていたのだろうか?それともつやつやと肌触りがよくなり、なおかつ雀色に輝く桑の棗の姿が頭の片隅にあって、そこはかとない競争心の下磨いていたのだろうか?どちらの答えもありそうだが、かといってどちらでもない気がする。自身の境地が変わればまた導かれる答えも変わる筈。真っ最中の人生の中で「これかな?」と思う答えを探していくしかない。会ったことのない故人に口はなく、その人が著した本や周囲の人が記した文集等から推測するしかない。その答えが何であろうと、大事に扱われ、人の人生に長く寄り添ったあの存在感は消えることがないのである。いわば、モノと人が共白髪に過ごした重みなのだ。
 「僧に非ず 俗に非ず 禅者なり」文集 「老大師の思い出 女性の視点から」中央支部 片野慈啓さん寄稿の文章にヒントがあった。以下一部を抜粋する。なお、文章中に出ていた「さる方」「その人」等はここでの「老大師」を指している。
 「…老大師が旅先で何個か同じ物を求めた、という桑の木の棗を、緑水先生(老大師次女)や他の道友(同じ禅の道を志す人を指す)に渡し『何年か後に見せ合って色艶や桑の色がどう違ってきているか比べ合おう』と言われたとの事でした」
 「緑水先生(老大師次女)が貰ったという棗は水屋に置かれ、稽古の度に皆で拭きましたので、奥深い茶色になっていました」
 「『オヤジ(老大師)はテレビを見ている時でも絹の布でいつも棗を拭いているのよ』」
 「棗に限らず茶杓も同じで、値段の安い稽古茶杓でも、よく使いこんでいれば風格が出る」
 「道具をとことん可愛がる、これが老大師流だったと思います」
 「お道具はご自作だったり、木地の木目を楽しむものが多く、漆を塗ったり蒔絵をほどこした茶道具はほとんど見えませんでした。これは他のお流儀の好みと大きく異なる特徴と言えると思います」
 あの棗の色合いと光沢は良く使い込み、可愛がっていた証なのだ。桑の棗であんなにも深い色合い・光沢が出るのであるから、人も磨けば人間味と言ったら良いのか、えもいわれぬ香が立ち昇るのだろう。自身の禅での道号、「翠珠」に思いを馳せる。自分の珠は常に磨き続けなければどんどん曇っていくのであろう、と。常の人もそうである。何のために生まれてきたかということも考えず、ただ受動的享楽的に生きているだけならば、人の短い一生のことだもの、何かを特に成し遂げるということはなく、すぐに命の灯火は尽きてしまうのだ。
 老大師がいつも磨いていた桑の棗を思いつつ、はて自分も自分のことを磨けているのかな?と自問する。職場の忙しさに埋もれてしまうと、仕事でほぼ一日が終わってしまう。人と人のやり取りで心が疲弊したときはそのことばかりが心を占め、大抵寝落ちし、深夜にゴソゴソする。何かものを考える余裕もほとんどなく、日がな一日が過ぎ、休日の半日は寝過ごし、後は残りわずかな時間にやるべきことをうわぁっとやっている。一つ一つのことを疎かにせずこなしていきたいが、万事が万事そううまくいかないものだ。それでも、吹けば消し飛ぶほど細々と坐れば(ほとんど眠気との闘い)、わずかばかり心が澄み、明日への糧になる。猫の額ほど細々とした勉学であったとしても、亀の子の歩みだが着実に何かは得ている。今度はそれを外に還元できるようになれば万々歳だ。果たしてこれで自分をちゃんと磨けているだろうか。とてもすれすれに感じる。だがこの一歩一歩の積み重ねでもいつか何等かの芽は出るだろう。
 今日も細々でも良いから自分を磨こう。翠珠という有難い名をもらったからには。あの桑の棗のように、より奥深い色を持った存在になるためにも。万華鏡のようにふっと浮かんで消えて日々は積み重なっていく。そうして私の在り様はできていく。
 以上、モノの在り様から綴った自身の徒然であった。
鈴木 華子 記ス

posted by 東京民藝協会 at 12:40| Comment(0) | その他

2021年05月05日

初めてのオンライン例会へ感謝!

コロナ禍の月例会の開催に苦慮する団体が多い中、民藝品と対面を通しての開催に拘っていたであろう東京民藝協会も、ついに「オンライン例会」に踏み切られました。

初めてのZoomを使ったオンライン例会は、ガラス工房を訪問取材したときの映像を元に、たいへん充実した内容で、スタッフのご苦労に感謝いたします。
私が所属する他の団体のオンライン形式の例会では、講師の用意したパワーポイントによる説明的な進行で、講義的なものが多い傾向がありました。

しかし、Zoomを使ったオンライン形式でも、今回のように現地取材と講師の解説で、これだけのことが出来るのだと感心しました。
裏方の方々は、テレビの工房訪問番組のごとく、諸連絡や準備に大変なのでしょうが、参加する側としては、自宅にいながら盛りだくさんの内容を受け取れるのですから、たいへんありがたかったです。しばらくは、このような方法で続けるしかないのでしょうが、よろしくお願いいたします。


ガラス炉の温度が、溶解炉が1,280〜1,300℃、作業炉が1,160〜1,200℃というと、陶芸窯の本焼が1,230〜1,280℃、磁器の本焼が1,300℃で、とても近い温度です。

現職時代といっても30数年前のことですが、子供たちにやきものの皿を作る指導をしていたときに、釉薬の代わりにガラスビンやビー玉を入れて焼いたことがあり、偶然的な色彩の効果に、子供と一緒に感動したことを覚えています。

やきものの本焼の焼成中は、陶芸窯に付きっきりでいますが、燃料と空気量での温度調節以外は手持ち無沙汰なので、傍でニホンミツバチの保護活動のなどをしていました。
最近、岩手の花巻の実家で使っていた陶芸窯を、府中の自宅へ運んで来ました。ガラスを溶かす条件は揃っているようなので、陶芸窯の扉の覗き窓(10×10cmくらい)を利用して、焼成中の窯の中の器にガラスを入れて溶かし、吹き筒を差し込んで取り出してみようか、と考え始めています。
上手くはいかないでしょうが、遊び心で応用して、何か出来ないか試してみようと思います。


年会費を徴収していながら、企画・予定していた事業や講座を開催できず、どの団体の役員さんも悶々とした毎日のようです。東京民藝協会の会員へ何かしらの還元ができて、さぞかし協会役員や事務局の藤田邦彦さんの肩の荷が降りたことでしょう。
講師のガラス作家の平岩愛子さんや、現地取材をしビデオ編集をした日本民藝協会の村上豊隆さんにも感謝いたします。

菊池正樹 (東京民藝協会会員、艸炎窯&花巻人形工房)

posted by 東京民藝協会 at 19:04| Comment(0) | その他