2023年01月26日

奈良井宿を訪ねて

 昨年の10月中ごろ、木曽路は長野奈良井宿を訪れました。新型コロナが広まり二年半を過ぎ、そろそろ旅に出てもいいのかなと皆思い始めた頃です。人出が少し戻ってきていました。日中は山あいを抜ける風が何ともさわやかですが、陰るとぐっと冷え込みます。

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 妻籠や馬籠と共に木曽路も知られるところになりました。宿場町の面影を残しながら環境を残し整え景観に一体感をもたせることで、かつての風情を感じられる街道沿いの町並みです。江戸期旧中山道木曽路は塩尻から中津川へ、東海道より日数がかかるものの女性や年配者でも往来できる険しさだったそうです。当時の土産物としてお六櫛やすげ笠、山へ入る際に持って行ったという弁当箱メンパなどは今に伝わります。
 木曽といえばヒノキが知られていますが、他にサワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキが木曽五木とされています。コウヤマキ以外は、見分けがつきにくく似てみえます。山を管理するのがだんだん難しくなってきているという話は幾度か耳にしました。

 木材それぞれの特徴を生かした品も作ってきました。今も近隣でサワラは樽や桶に、ネズコは下駄づくりに使われているのではないかと思います。隣の平沢は漆工芸が盛んです。主に家具や調度品、蕎麦道具や弁当箱などの曲物などが知られています。曲物は主にヒノキが使われます。木曽ヒノキを使った箸の木地づくりをされている方も、後を継ぐ方がいなくなってしまうかもしれないとのことです。
 地元の材料が使えたらいいのかもしれませんが、工芸品に使われるのは考えてみたらごく一部です。
林業や木工に携わる事業所や工場はまだまだ多いとは思いますが、一番は建材としての需要がなければなかなか産業としては成り立ちにくいのではないでしょうか。

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 宿の東側街道と並ぶように奈良井川、塩尻から中津川まで篠ノ井線が走っています。ぶどう畑や木々の間を抜けていくのはとても気持ちがいいです。
 宿や店の奥を見せていただきました。街道沿いの間口の広さはそれぞれですが、入ってみると奥へ細長く続いていることがわかります。一旦外に出て山側は斜面を利用した階段式の家屋であったり、川側は篠ノ井線ができる以前は川を越えた先の方まで使っていたなど教えていただきました。なので自然と間や中庭ができたり裏側から日差しを取り込めるようになっています。
 かつて営林署による貯木場があったところは整備されカフェもある憩いの公園に。園内には総檜造りの太鼓橋が奈良井川にかかっています。この橋は”ふるさと創生事業”を利用し作られたとのこと。夜はライトアップされ、観光客にも地元の子供達が写生会をしたりと、結果なかなかいい名所になったようです。

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 みなさまの記憶にも薄っすら残っているでしょうか、昭和の終わりから平成の初めにかけての”ふるさと創生事業”では、全国の各自治体に1億円を。。というものでした。箱物やモニュメント、整備費に充てることがやはり多いようですが、使い道に迷うとこんなことになるんだ。。という村営のキャバレーややたらと豪華なトイレなども。作ったはいいけれど維持できなかった事業も多々あるようですが、夕張の映画祭や風力発電などは今に続く好例かなと思いました。自分の住む地域に1億円でるとしたら。。何がいいのでしょうね。
 夕飯の後、宿のご主人から太鼓橋の話を伺ったのですが、金ののべ棒を買っておいた自治体が今となっては一番よかったかもしれませんね笑、というオチでどっとひと笑い、泊まり客を和ませて下さいました。
(栗山花子)
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2023年01月24日

二十一世紀

 わたしが初めて志賀さんとお会いしたのは昭和六十二年六月だった。翌年の日本民藝夏期学校五城目会場の講師をお願いするために銀座たくみでお会いした。お願いした演題は「民藝と流通について」。志賀さんは快諾された。そしてその年の九月、夏期学校に先立って志賀さんを秋田にお迎えし、五城目町と当会会員を紹介しながら県内を巡った。移動はわたしの自家用車に乗ってもらった。
 その道々、増田町の織田兵太郎さん(けら作りの世話人)を訪ねたときのこと。招かれた座敷に一枚の色紙が掛けられていた。
 着物姿の男女が足並みを揃えて踊っているスケッチのような絵に「秋田音頭 美男美女の花ざかり この句は俳句に似たれど俳句に非ず 草田男」と添えられている。志賀さんが「中村草田男ですね」と尋ねると、織田さんは「草田男先生が増田を訪ねたとき当地の郷土芸能を披露した。そのとき書いてもらったものだ」「志賀先生は草田男先生をご存じですか」と尋ね返したのだった。
 志賀さんは高校時代、文芸部に所属していた。その顧問が中村草田男だった。あるとき草田男から「部に名前をつけてはどうか」と提案され、最初につけた名前が「井の中の蛙」だった。草田男は憤慨してその名を差し戻した。志賀さんは諮って今度は「二十一世紀」と名付けた。草田男は大いに喜んだという。
 わたしはこの話を聞いて、戦後間もないその時代に、十七歳の志賀少年が使った言葉として二十一世紀という言葉を心に残した。
 平成八年六月、志賀さんは入院中の相川さん(当時秋田県民藝協会会長)を見舞いに秋田を訪ねた。二度目の脳梗塞で倒れた相川さんは郊外の病院の一室で両手をベッドの支柱に包帯で拘束されていた。それを見た志賀さんは真っ先に担当医に頼んで包帯を解いてもらい、ベッドの背を立てて相川さんの話に耳を傾けた。
 見舞いを終えた帰りの車中、わたしは志賀さんから「今日の相川さんの話を『民藝の秋田』に書き残してほしい」と下命を受けた。
 その翌年、『民藝の秋田』第二十二号発行を目標に、わたしは相川栄三郎会長の名前で巻頭文を書いた。題名は「二十一世紀へ」。
 誰かの名前で文を書くのは初めてだったが、相川さんのことゆえ日ごろ聞いていたことを並べていくうちに何とか形が整った。最後に、濱田庄司が秋田県民藝協会に残した言葉を借りて「その時代の民藝とは、作った人の心、使う人の心の密度の深さを示す尺度となろう」と結び、平成九年八月に発行した。
 志賀さんは大いに喜んでくれた。
 このたび藤田さんから追悼文の依頼をもらい、こんな自慢のような話は趣意外れと思ったが、遠くなりにける志賀さんの思い出として書くことにした。
(秋田県民藝協会 三浦正宏)

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「角館の居酒屋「安吾」にて」

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2023年01月08日

東京民藝協会1月例会「小原の郷・尾久コレクション展」見学

明けましておめでとうございます。
2023年最初の例会は下記になります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。


東京民藝協会1月例会「小原の郷・尾久コレクション展」見学
日 時 2023年1月29日(日)14:00〜
    時間の少し前に集合して下さい
場 所 相模原市 小原の郷(おばらのさと)
緑区小原711-2 TEL 042-684-5858
中央線相模湖駅から徒歩20〜30分
バスは駅前のA番乗車、3番目の小原で下車
解説  尾久彰三氏
参加費 500円(会員以外は 1000円)
参加申込 1月27日(金)まで


尾久さんのコレクションの展示をご本人の解説付きで見学します。その後、近くにある小原宿の旧宿「永楽屋」に移動して、その内外と所蔵の古民具を拝見します。(永楽屋は会員の永井さんのお宅)小原宿は旧甲州街道の江戸から9番目の宿場で、本陣(見学可)が残っています。

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画像は永楽屋
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