2023年02月26日

2月例会 民芸館見学

 2月17日に日本民藝館の特別展「生誕100年 柚木沙弥郎展」の見学会を行った。参加者は 16人。この展示は人気が高く入館者が多いので、会期末にならないうちに、また土日を避けて金曜日に行うこととなった。
 解説は展示を担当なさった月森さんにお願いした。月森さんはいつものように熱のこもった解説をしてくださった。そのお話をかいつまんで紹介しよう。民藝館が現存する作家の展示を行うことは極くまれである。ましてや短い期間をおいて2度行うことは前例がないと思われる。民藝館所蔵の柚木作品は140点余、そのうち 60点が柚木先生から寄贈いただいたもので、この60点はいわば作者自身が長年手元に置いていた代表作ということになる。今回は所蔵の柚木作品すべて(ポスターは6点のみ)を展示することとした。先生は由比の正雪紺屋で学び倉敷に戻って仕事を始められた。その最初期から100才の現在に至るまで、一貫して質の高い作品を生み出してこられた。だから、最初期と70年の時を隔てた現在の作品を一緒に並べてもまったく違和感がない。2000年代にいたるまでは主に実用を旨とし、近年は自己の表現に主眼を置いて創作を続けているにもかかわらずだ。またアフリカなどのプリミティブな造形や民藝の古作と並べても、なんらの遜色がない、むしろ互いに引き立て合ってしまう。これは驚嘆すべきことだ。
 その言葉通り、2階の大広間は柚木作品と古今東西の古作が隣りあって並んで壮観を呈していた。ある人が、「これは柚木邸の居間みたいですね」と漏らしたが、なるほどうまいことをいう。私には感想を言う資格がないのだが、これを柚木先生も認めておられるのだから、きっと立派な展示なのであろう。先生はご覧になって、自分の作品が余計なものと一緒に展示されているなどと思わず、これら全体が醸し出す楽しさ美しさを喜ばれたことであろう。いうまでもないことながら、この展示はやはり月森さんの解釈と創造であり、ほかに例をみない民藝館ならではの展覧会だった。
 月森さんには、西館の展示も含めて、1時間以上にわたって懇切な解説をやっていただき感謝に堪えない。月森さん、ありがとうございました。 
 -----なお、『民藝』1月号の表紙裏「展覧会この一点」に、月森さんが柚木先生の作品、「紅型風型染布」の解説を書いておられる。この作品は、先生が倉敷で作った初作品で、上京の折、柳に見せて買い取ってもらった記念すべき作品だという。若い柚木沙弥郎の感激はいかばかりであっただろう。
(藤田)

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2023年02月23日

『民藝』12月号 「しめ飾り」特集について

 去年の、いや年があけたので一昨年のことになるが、秋ころ『民藝』編集部の村上さんから、「東京協会でしめ飾りの特集を担当してくれないか」という話があった。役員会で話し合ったところ、しめ飾りを毎年多数販売するべにや民芸店やたくみ、備後屋、それからしめ飾り研究家の森須磨子さんの協力を得られるとしても、東京協会単独で特集をまとめあげることはできない。各地方協会に取材をしていただいてそれをまとめることにしたらどうか、という提案となった。編集会議でその方針が了承されて、村上さんが各地方協会あてに急遽その旨を依頼した。その結果、地方協会から予想以上の写真と記事が寄せられて『民藝』12月号の特集ができた。
 東京協会でも会員に呼び掛け、同時に役員が手分けして東京近辺のしめ飾りの現場を取材することとなった。 野崎さん、世川さんが東日本橋、人形町、浅草橋方面、井坂さん、奥村さんが府中の大國魂神社、竹村さん、高橋さん、藤田が川崎の日本民家園へ行った。さらに奥村さんは愛媛県西予市、藤田は長野県宮田村に出かけて、個人の製作者を訪問した。松本の宮原さん(工芸店「工藝マエストロ」)が縄手通りの露店の売り場の写真を撮って下さった。野崎さんと世川さんの報告がP20に、奥村さんの報告がP32に、その他の写真がP28〜30に掲載されている。
 そして、表紙は、奥村さんの写真である。携帯電話で写真を撮ってくるつもりでいたところ、森さんに「それはないでしょ」と言われて、慌ててカメラを持っていたそうだ。手前にしめ飾りが大きく写り、背後にそれを作っている手が写っている。手前の宝結びにピントが合っているのだが、こういう写真はカメラでないと撮れないらしい。かくして、当協会も応分の役割を果たしたという次第である。
 出来上がった『民藝』を見ると、今でもこれだけ多種多様なしめ飾りが作られて飾られていることに驚く。しかもこれは全国からいったらほんの一部だろうからなおさらである。我々はどうしてこの季節になるとこういう役に立たないものを飾りたくなるのだろう。

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 計画の段階から相談にのって下さった森須磨子さんが「しめ」の原稿を書いて下さった。森さんは こう書いておられる。
〈 整頓された作業場で、おじいさんが黙々、延々と縄をなっています。そこにあるのは時間と、藁の香りと、藁の擦れる音だけ。それをそばで見続けていた私は、少し頭がぼうっとしてきて、こんな言葉が浮かんできました。「しめ飾りとは「『時間』。/ 出来上がった「モノ」と同じくらい、制作している時間が大切だと感じたのです。この「今年」でもない「来年」でもない「真空の時間」が、日常を清算し我が身を無にし、新年への「まっさら」な心を生み出してくれる。〉
大晦日から元日といえどもひとつづきの時間だが、人はそれを年という観念で区切り、新しい年の表象としてしめ飾りというものを作ってきた。人はしめ飾りを飾って、またそれを見て新しい年が来たことを感ずる。そして森さんは、しめ飾りを作る人にとっては「出来上がった「モノ」と同じくらい、制作している時間が大切だと感じた」。その時間は「今年でもなく来年でもない真空の時間」だとおっしゃる。これまでにこういうことを言う人がいただろうか。わたしはすっかり感心しました。
 真空の時間とは、無の時間であり止まった時間であり、一様一方向に過ぎていく日常の埒外にあるものだろう。人間の心とその表象としてのかたち、時間というものの不思議さ、ものを作るという行為がもつ尊いと言っていいような精神作用等々、改めて考えさせれる文章であった。森さん、最初から最後までありがとうございました。 
そして地方協会の皆さま、取材に応じて下さった皆様、ご協力まことにありがとうございました。
(藤田)
 
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