2018年11月01日

10月例会報告のようなもの

 10月5日(金曜日)、べにやさんをお借りして例会をやった。参加者が20人を超えるという盛会、會田協会長や福岡の高木さんもご参加下さった。
 会員の澁川祐子さんが講師で、「民藝と食」と題したお話であった。澁川さんには『オムライスの秘密メロンパンの謎』(新潮文庫 29年2月発行)という著書がある。その表紙カバーの後ろの著者紹介によると《フリーのライターとして活動するかたわら、「民藝」にも携わる。近年は食や工芸のテーマを中心に執筆》とある。
 この本は、ライスカレー、コロッケ、ナポリタン等々、我々がいま普通に食べている料理の起源と現在までの変化、展開を明らかにしたものである。前書きに執筆の方針として「文献によって事実を明らかにしようと努めた」と書いておられる。元祖や創家、本家の話を直接聞いてまわっても事実に到達できるとは限らないからもっともなことではあろう。だがかなり手間のかかる仕事になる。多分澁川さんは幕末以後に刊行された膨大な料理本、新聞等々に一通り目を通したことだろう。国会図書館や大宅文庫に日参したのではないか。それくらいでないと28もの料理に関する初出文献を探しだすことは難しい。事実《そんな疑いを抱きながら、明治時代から戦後の1960年代までの料理本をしらみつぶしに調べてみることにした》なんて平気で書いている。
 そしてその過程で、今回の話題「民藝と食」に関わるネタも、------吉田璋也が考案したとされるしゃぶしゃぶは当然のこととして、拾えたのではなかろうか。労作である、そして面白い。

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 さてお話である。柳らは食べ物に、特に収集の旅の途中であった地方の食べ物にそうとうな興味をもって、それ等についてよく記録しているという。同人それぞれの食べ物とのかかわり方が「甘党の柳宗悦」「和食通のバーナード・リーチ」「土地の味を大切にする濱田庄司」「京都の老舗を愛した河井寛次郎」「民藝と食を結び付けた吉田璋也」というふうにまとめられ、エピソードが紹介された。これらは多少知られてはいるのだろうが、このように一つの側面からまとめられるとまた興味を引くものである。------柳は歯が悪くなかったのかな。

 それから、柳田国男と柳の(ただ一回だけの)対談が紹介された。『月刊民藝』13号(昭和15年)の「民藝と民俗学の問題」に載ったものである。地方の食べ物について話している部分であるが、以下の柳田の発言が興味深い。
 《柳田 田舎の食物は普段は非常にぞんざいなものを食べている。そうしておいて一年の限られた日だけうまいものを食べる。だからその日はとても幸福を感ずるのです。(中略)そうした時の幸福さというものは非常なものだっただろうと思いますね。いま民藝館の品物をみてつくづくそう思いました。》
 柳田はここで、「民藝館の品物は限られた日だけのものである」と言う。そして、「そう思いました」は「限られた日のためのものとして結構なものだ」という意味だろう、多分。しかしこの言い方、柳田は民藝館の品物にたいして感心していない、興味がないのではないか。「私の家は日本一小さい家だ」「飢饉を絶滅しなければならないという気持ちが自分を民俗学に駆り立てた」という柳田にとって、問題は民衆の平生の生活であって、民藝館の品物はさして関心を引くものではなかった、と読めないだろうか。

 澁川さんによると嵐山光三郎がその著『文人暴食』で、柳田はうまいまずいを言わなかった、と書いているという。すると「うまいまずいを言う柳、言わない柳田」という対比ができる、とおっしゃる。恐縮ながら、いい着眼ではないか。両者の学問のあり方、人柄さえ象徴しているかもしれないし、上記対談にも反映している気がしないでもない。
 それで『文人暴食』を覗いてみたら「柳田国男 うまいもの嫌い」というズバリの項があった。《柳田の膨大な著作は、日本人の衣食住に関する論考が一つの核であるけれども、料理の味について触れた記述は驚くほど少ない》《柳田にあっては味覚の検定は禁句であった。「うまい」と感じる喜びが、次にめざす罠を嫌ったのだろうが、-----》と書いてある。この指摘、嵐山以前にあっただろうか。それはさておき、この「罠」とはなんだろう。簡単にいって「うまい」に捕らわれていくと民俗学が脇道にそれてしまう、ということか。これと逆に「次にめざす罠」なるものを肯定したのが柳であり、民藝であったのかもしれない。

 澁川さんは最後にもう一度河井寛次郎の言葉を引っ張ってきた。《土地の人を永く養ってきた食物にはうまいとかまづいとかのほかに何か犯し難いものがある。味の中心を形作るこれは力なのである。》(『工藝』69号)穿ちすぎかもしれないが、この数行に限っていうなら河井の感受性は柳より柳田に近いのではないか。------この数行から何かを言うことは避けるべきだろうが。

 現在の日本は、全雇用者中、非正規雇用者が1/3以上になったそうで、上記対談が行われた戦前の社会構造に似てきたところがある。民藝ブームと言われつつも、民藝と縁のうすい階層、柳田の言葉を借りれば「限られた日だけうまいものを食べる」階層が大規模に出現しつつある、のではないか。

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 以上、脱線甚だしい報告である。
 澁川さんありがとうございました。
(藤田邦彦)



posted by 東京民藝協会 at 17:55| Comment(1) | 例会
この記事へのコメント
視点を変えれば、民藝の大御所たちのエピソードも、また新たな切り口で論じられ、その人となりが見えてくるものですね。
そういう切り口を見つけ出せるというのが、なかなか凡人にはできないような気がします。

柳・柳田対談は、深く読み込めば新しい何かが見えてくるのかもしれませんね。
案外、今も僕らにとってとても大きな指針となるかもしれない「何か」が。
Posted by ちば at 2018年11月13日 21:36
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