
妻籠や馬籠と共に木曽路も知られるところになりました。宿場町の面影を残しながら環境を残し整え景観に一体感をもたせることで、かつての風情を感じられる街道沿いの町並みです。江戸期旧中山道木曽路は塩尻から中津川へ、東海道より日数がかかるものの女性や年配者でも往来できる険しさだったそうです。当時の土産物としてお六櫛やすげ笠、山へ入る際に持って行ったという弁当箱メンパなどは今に伝わります。
木曽といえばヒノキが知られていますが、他にサワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキが木曽五木とされています。コウヤマキ以外は、見分けがつきにくく似てみえます。山を管理するのがだんだん難しくなってきているという話は幾度か耳にしました。
木材それぞれの特徴を生かした品も作ってきました。今も近隣でサワラは樽や桶に、ネズコは下駄づくりに使われているのではないかと思います。隣の平沢は漆工芸が盛んです。主に家具や調度品、蕎麦道具や弁当箱などの曲物などが知られています。曲物は主にヒノキが使われます。木曽ヒノキを使った箸の木地づくりをされている方も、後を継ぐ方がいなくなってしまうかもしれないとのことです。
地元の材料が使えたらいいのかもしれませんが、工芸品に使われるのは考えてみたらごく一部です。
林業や木工に携わる事業所や工場はまだまだ多いとは思いますが、一番は建材としての需要がなければなかなか産業としては成り立ちにくいのではないでしょうか。

宿の東側街道と並ぶように奈良井川、塩尻から中津川まで篠ノ井線が走っています。ぶどう畑や木々の間を抜けていくのはとても気持ちがいいです。
宿や店の奥を見せていただきました。街道沿いの間口の広さはそれぞれですが、入ってみると奥へ細長く続いていることがわかります。一旦外に出て山側は斜面を利用した階段式の家屋であったり、川側は篠ノ井線ができる以前は川を越えた先の方まで使っていたなど教えていただきました。なので自然と間や中庭ができたり裏側から日差しを取り込めるようになっています。
かつて営林署による貯木場があったところは整備されカフェもある憩いの公園に。園内には総檜造りの太鼓橋が奈良井川にかかっています。この橋は”ふるさと創生事業”を利用し作られたとのこと。夜はライトアップされ、観光客にも地元の子供達が写生会をしたりと、結果なかなかいい名所になったようです。

みなさまの記憶にも薄っすら残っているでしょうか、昭和の終わりから平成の初めにかけての”ふるさと創生事業”では、全国の各自治体に1億円を。。というものでした。箱物やモニュメント、整備費に充てることがやはり多いようですが、使い道に迷うとこんなことになるんだ。。という村営のキャバレーややたらと豪華なトイレなども。作ったはいいけれど維持できなかった事業も多々あるようですが、夕張の映画祭や風力発電などは今に続く好例かなと思いました。自分の住む地域に1億円でるとしたら。。何がいいのでしょうね。
夕飯の後、宿のご主人から太鼓橋の話を伺ったのですが、金ののべ棒を買っておいた自治体が今となっては一番よかったかもしれませんね笑、というオチでどっとひと笑い、泊まり客を和ませて下さいました。
(栗山花子)
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