湯浅八郎は、民藝運動の創始期からの支持者、運動家です。柳宗悦らは京都で民藝運動を始動させましたが、当時京都帝国大学農学部教授だった湯浅は、「民藝」という全く新しい美の概念に触発された知識層の一人であり、自らも柳らの提示する美の標準にそくした品々を探し求めるようになります。そのきっかけになったのが、柳らが1929(昭和4)年に京都の大毎会館で開催した「日本民藝品展覧会」でした。湯浅は、この展覧会を見た時の衝撃をこのように語っています。
京都の毎日新聞社の会館で開かれて、二階でしたが、私はそこに行って、そこにあるものを見て、本当に全身燃え上がるように興奮しました。これだな、この世界なら私でもついていける、というふうに思いました。〔湯浅八郎(述)田中文雄(編)『民芸の心』〔新装和英版〕2023年〕
湯浅は、この展覧会に触発された仲間たち6名と共に民藝の同好会を結成しました。同人はそれぞれ、骨董商や道具屋、朝市などをめぐっては工芸品を収集し、それらを持ち寄って独自の民藝展覧会を開催するまでになります。これが現在の京都民藝協会の前身となる「京都民藝同好会」です。
「日本民藝品展覧会」が開催された旧・京都大毎会館(現・1928ビル)。湯浅は展覧会を見たあと会場を飛び出し「どう飛び出したか、私は記憶していません。窓から飛び降りたことはないけれどね、確かに階段を、一つずつなんて降りたはずはないですね。本当に飛び降り」て〔湯浅・前掲〕、付近の道具屋を訪れ民芸品を探し回ったという。モダンな建物の内部には、現在ギャラリーなどが入っている(2022年8月撮影)。
今回の展示では、そうして民藝の世界へ足をふみ入れた湯浅が収集してきた品々や資料が並び、傍らには、湯浅による集中講義(1978年)の講義録『民芸の心』の関連部分の抜粋が付されています。湯浅の言葉は、民藝運動にリアルタイムで衝撃を受けた知識層の人々に、柳の民藝論がどのように受容され、解釈されていったかを知らしめてくれるもので、ことのほか新鮮で興味深いものでした。1982年に刊行されたこの講義録は、開館40周年を機に新装和英版として復刊され、記念館の窓口でも購入できます。
(天野)
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