江戸時代はたびたび奢侈禁止令が出され、派手な色柄の着物は禁じられていた。それゆえ武士の礼装である裃は、藍、茶、黒などの色で、無地に近い小紋柄が染められていた。遠くでみると無地だが、近寄ってよく見ると細かい点柄でびっしりと埋め尽くされている。それは侍たちの隠れたオシャレだった。
その後、町人文化が花開くと、江戸っ子たちがさらに粋な遊び心で着飾った。一見地味で渋いのに、じつは宝尽し、雪輪、松竹梅などの柄が、極小でちりばめられている。こうして発展した「江戸小紋」は、たとえ生活や文化が抑制されても、オシャレ心を忘れなかった江戸の人々の「意気地」の証しだった。

かつて神田川沿いには、たくさんの染物屋さんが軒を連ねていた。中野区落合で仕事をされている廣瀬雄一さんは、100年以上続く老舗の四代目。子供の頃から染め場で遊び、職人さんたちにかわいがられて、自然とこの仕事を継いだという。
「昔の名人が作ったものを見ると、すぐにわかります。飽きがこない見事な美しさがあります。」と廣瀬さんは語る。そして自分もそんな職人技の高みを目指したいと熱く語る。
型紙は昔ながらの伊勢型紙。1ミリにも満たない点が錐彫りされた渋紙を、長板に貼り付けた真白な絹地に乗せる。そして刃物のように薄く削った檜のヘラで、糊を刷っていく。初めはゆっくりと、次第に波にのるようにヘラが小気味よく上下する。型紙一枚分を終えると、ヘラを口にサッとくわえて型紙を両手で持ち上げ、継ぎ目に合わせて完璧につないでいく。
点が1個でも潰れたりズレたりすると、反物全体が台無しになる。まさに真剣勝負だ。刷り終えて型紙を持ち上げると、見事な連続模様が生まれていた。

「江戸小紋」の伝統な柄の一つに、「鮫小紋」がある。小さな点が集まり弧を描き、また次の半円が現れてつながっていく。それを鮫皮に見立てた柄だ。ずっと見ているとまるで柄自体が動いているように見える。不思議だ。
「鮫小紋には、永遠性を感じる。」と廣瀬さんはいう。小さな点が集まって、星のように円運動をくり返すこの柄は、まさに無限の宇宙そのものだ。
(服飾ブランド matohuデザイナー 堀畑裕之)
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