2022年03月27日

2021年度の東京協会の例会について

 疫病は相変わらず収束しないので、人が実際に集まる会合は難しい。日本民芸協会では、総会を2度見送り、夏期学校もすべて中止になった。当協会も同じで、2020年度、2021年度の総会は中止した。来年度すなわち2022年度の総会もそうするしかないだろう、いまのところ。そんなしだいで目下は主にオンライン例会を行っているのだが、期末にあたって振りかえってみよう。
 はじめてオンライン例会をやったのが昨年2021年の4月であった。野崎副会長ほかで青梅の平岩愛子さんの工房に伺って、仕事の様子を動画に撮って、さらにあれこれをお聞きした。それを、村上さんが編集して下さって、30日に「平岩愛子さんの工房訪問」として公開した。その後は以下の通りである。 


5月14日 写真家の藤本巧氏 「韓国の写真を撮り続けて」
6月25日 瀬戸本業窯の水野雄介氏 「瀬戸本業窯のこと」
8月13日 ギャラリー・セントアイヴスの井坂浩一郎氏 「バーナード・リーチと濱田庄司 渡英100年」  
9月17日 大阪民芸館の小野絢子さん 「大阪民芸館のこと」
10月27日 鳥取 山根窯の石原幸二氏 「山根窯 石原幸二氏に聞く」
11月20日 出西窯の方々 「出西窯の登り窯 窯焚き中継」
今年になって
22年1月15日 民藝館学藝部長 杉山享司氏 「民藝の100年展を巡って」
3月4日 元民藝館学藝部長 尾久彰三氏 「尾久彰三氏のコレクション展示」

 
 9回やったことになる。このうち4月、10月、3月は録画で、村上さんが編集をして下さった。そうとう時間がかかる作業で、御礼を申し上げます。
 大体は夜の7時か8時に始めて、2時間以内に収まるようにしている。参加者は少ない時で15人、多くて30人くらいである。会員が100人くらいだから、こんなものだろうか。曜日や時間に改善の余地があるのだろうか。それから、オンラインに参加できない方がおられることも気になることである。参加することだけならそう難しくないので、どなたかに助けていただいて、ぜひ参加していただきたいものである。
 実は、本部でも、ユーチューブなどで民藝関係の映像を公開していくことを考えており、当協会の映像が何かの形で役に立つことを願っている。

 なお、民藝館の見学も 5月、9月、11月、12月、3月の5回、特別展の都度行うことができた。いずれも民藝館の皆様のご理解とご協力のおかげである。深く感謝申し上げます。
(事務局 藤田)

 

 
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2021年05月14日

民芸運動の担い手

たくみの志賀社長とお話しすることが叶わなくなって、はや半年がたつというのに、まだその実感がない。今でもたくみの二階に上がればお会いできるような気がするのは、きっと私だけではないだろう。志賀直哉の「なおや」に、アクセントをつけない独特の発音とともに、耳の奥底で、志賀社長のお話しがあの口調そのままに、響き続けている。
志賀社長のお名前を知ったのは、「民藝」誌上であった。学生時代に、柳宗悦の民芸運動を近代化批判のすぐれた一例ととらえて感動した私は、民芸と流通について多くの論稿を発表されていた志賀直邦さんという名前に興味を持ち、バックナンバーを見つけては志賀さんの書いたものがないかチェックしていた。この世を美で埋め尽くすには、流通、経済の探究こそが重要だと思ったからだ。
柳はいたるところで、いい使い手が問屋を変えるということを言っているし、自身も「美と経済」という論稿を残している。また、アーサー・ペンティなどギルド社会主義者の本も熟読していたというから、経済の研究も重要視していたように思う。しかし、今までの民芸運動を振り返ってみると、経済の研究はあまり活発には行われていなかったように思う。
もちろん、柳のもとに集った若者たちには、「ほんとうの世界」を求めて集まった人が多かっただろうから、経済問題の探究に深く傾倒していた人もいただろう(松方三郎などがその例であろうか)。しかし、民芸美と経済の融合を導くような動きは、現代の経済学が扱いうる範囲を超えているからか、大きな流れとはなっていない。
そんな中で、美と経済の問題を背負ったのは、たくみをはじめとする民芸店のみなさんであったと思う。特に志賀さんは、民芸の民芸たるゆえんをしめさなければならないたくみという特殊な会社の顔として、この問題を一手に引き受けておられたのだと思う。田中豊太郎時代の「民藝」誌には、雑誌の最後の方に、「たくみだより」というのが載っていて、当時のスタッフの想いがつづられているが、そこからは、たくみという特殊な会社を、給料を出さなければいけない普通の会社としても運営していかなければならなかった苦労がうかがわれる。
多くの場合、たくみに対するうるさがたへの弁明と、今後の取り組みについての表明に紙幅が割かれているのだが、「そんな程度のものを扱っていて恥ずかしくないのか」と言えばいいだけのうるさがたに対し、作り手の生活も保障しながら、なんとか格好がつく店づくりをしなければならない当事者たちは、どれだけ大変だったろうか。うるさがたは、店に行って、あがりのいい一枚を選び抜けばいいが、しかしあとにはそれには劣る数百枚の皿が残ってしまう。
志賀社長の時代にはさらに大変だっただろう。伝統的な産地にも変化が起こり、選ぶことも難しくなり、無印良品などの大資本の発注ロットに合わせる注文でないと、品物を手に入れることすらかなわないケースも出てくる。必然、柳の示した美の標準から遠くなってしまうこともあるだろう。悪貨が良貨を駆逐する現代にあって、この世を美しいもので埋め尽くすという民芸運動の悲願は達成されるのだろうか。達成されると信じたいし、それは志賀社長の悲願でもあっただろう。幸い、経済史の分野では、「神の見えざる手」ではなく、消費者の「見える手」が、経済の秩序形成に重要な役割を果たしてきたという研究が現れてきている。では、どうしたら「見える手」を形成できるのだろうか。そんなことも志賀さんとお話ししたかった。
2016年に、志賀社長が「民藝」誌に連載された「民藝運動90年の歩み 白樺の時代と、民藝美の発見、その展開」を『民藝の歴史』という一冊の文庫本にまとめさせていただいた。ほんとうはこの本のタイトルは『民芸運動の歴史』としたかった。だが、それだと読者の範囲をせばめるからということで、現在のタイトルに落ち着いたという経緯がある。
志賀さんは、史学の徒だったから、学生新聞を編集し一時期新聞社につとめられたジャーナリスティックな資質をお持ちだったから、あの本を書けたのではないと思う。民芸運動のまん中にいて、その運動の担い手であったからこそお書きになれたのではないだろうか。志賀さんの本は、歴史家やジャーナリストの叙述ではなく、当事者の記録であった。いつか志賀さんに報告できるような、続『民芸運動の歴史』の読める日が来ることを、期待している。
藤岡泰介(筑摩書房)
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2019年11月30日

東京民藝協会12月例会 *日本民藝館展 見学

○東京民藝協会2019年12月例会
日本民藝館展 見学

日 時 2019年12月21日(土) 11:00〜
場 所 日本民藝館 入口あたりに集合
参加費 500円 (会員以外も500円)
定 員 25人位(会員優先/先着順)
参加申込 下記のメールに12月20日(金)まで
tokyomingeikyokai@gmail.com

例年のように日本民藝館展が12月14日(土)から25日(水)まで開催されます。
見学会を行いますのでご参加下さい。日本民藝協会の村上氏の解説付きです。
*当日は西館の公開日です
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2017年08月17日

小鹿田焼の豪雨被害と支援金募集

小鹿田焼協同組合から以下の要請文が公表されました。
東京民藝協会でも募金に協力することとし、近いうちに会員の皆さまにお願いの文書を差し上げますのでよろしくお願いします。
また、同趣旨の文章が『民藝』9月号に載るそうなので併せてお読み下さい。
(担当:藤田)

           ***
◎九州北部豪雨にともなう「小鹿田焼復興事業支援金」募集のお願い

1.支援金募集の趣旨
平成29年7月5日に発生した北部九州豪雨により、国指定重要無形文化財「小鹿田焼」は、その原材料となる土を粉砕する唐臼(からうす)の損壊、水路の破損、登り窯の周辺部や原土を採取する山の崩落など、大きな被害を受けました。小鹿田焼は、宝永2年(1705)の開窯以来、明治時代末期まで甕・鉢・壺などの農家の日常雑器を製造し、昭和6年には民芸運動の指導者柳宗悦の来山により、その伝統的な技法と質朴・雄勁な作調が賞揚され、昭和45年には国の記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に選択されました。
以降、今日まで主な原料の確保から、製造や加工、伝統的用具による製品製作に至る製作工程には、伝統的かつ地域的な技法が純粋に継承されています。
私たちは小鹿田焼協同組合では、本格的修理事業に向けて現在準備を進めていますが、窯元は家族単位で構成され、男子一人が窯を伝承する習慣が今なお続いており、それぞれの力だけでは完全な復興までには相当な時間を有すると危惧しております。
つきましては、今回の水害に伴う復旧事業に留まらず、これからも小鹿田焼を守り、将来へ伝えていくために、皆様のご支援を募るため「小鹿田焼復興事業支援金」を下記のとおり開設致します。皆様の温かいご支援・ご指導を宜しくお願い申し上げます。

2.支援金の使途について
以下の事項に係る費用として使用します。
1. 唐臼の修理に係る事業
2. 唐臼を稼働するための水路の修復事業
3. 登り窯とその関連施設の修復事業
4. 原土を採取する山の修復及び保全事業
5. 新たな原土山の採取整備事業
◎ より詳しいことは、下記のホームページをご覧下さい。
小鹿田焼復興事業支援金サポートサイト http://ontayaki.support

◎展覧会:バーナード・リーチと小鹿田焼展
九州北部豪雨災害からの復興を祈念し、日田市内において下記の通り展覧会を開催いたします。天領日田資料館においては日本民藝館所蔵のバーナード・リーチ作品を展覧し、また、豆田まちづくり歴史交流館では、過去から現在に至る小鹿田焼とその製法・歴史に関する資料を中心にご紹介いたします。
・期間:平成29年9月26日-10月18日
・会場:天領日田資料館・豆田まちづくり歴史交流館

 天領日田資料館:大分県日田市豆田町11-7 電話:0973-24-6517
 豆田まちづくり歴史交流館:大分県日田市豆田町9 電話:0973-23-8922    
・記念フォーラム
1. 講演「一汁一菜でよいという提案」
講師:土井善晴氏(料理家)
2. パネルディスカッション 「あたりまえの大切さ」 
コディネーター:杉山享司氏(日本民藝館学芸部長) 
パネリスト: 土井善晴氏・石井頼子氏・濱田琢司氏・鷺珠江氏
日時:2017年9月26日(水) 18:00-20:45
会場:パトリア日田・大ホール 日田市三本松1丁目8-11 電話:0973-
   25-5000
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2016年06月16日

花の散歩 芍薬と山帽子

 今回は初夏の散歩として、芍薬(しゃくやく)を採り上げてみました。たてば芍薬すわれば牡丹----と言われて美女の姿に例えられる。

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 ボタン科の多年草で、高さは1メートルくらい。中国から伝来して観賞用、薬用として栽培されている。色はご覧のように単紅色から白色である。我が家の庭をひときわ美しく楽しませてくれている。

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 次に対照的に地味な植物を1点ご紹介しよう。山帽子(やまぼうし)である。山地に自生するみずき科の落葉高木である。初夏のころになるとご覧のような白色の花弁のような4枚の萼(がく)が木の上部に開く。若いころ山歩きで見つけて辞書を繰って調べて見つけた植物である。それ以来病みつきとなって若木を購入、移植して○○年、ようやく今年になって、写真の通りの見事な花(萼)を咲かせてくれました。私の自慢の植物である。
(木村 太郎)
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2014年09月19日

「背守り 子どもの魔よけ展」

 「えっ、23日まで。」
東京民藝協会たよりをみて慌てて21日に京橋のLIXILギャラリーに行ってきました。
 10年以上前でしょうか、雑誌で「背守り」という言葉、そしてその思いを知り、我が子のTシャツに背守りを縫いつけたことがあったので実物を是非みたいと思っていた展覧会だったのです。京橋はフィルムセンターしか知らない私にとっては初めて訪れるギャラリーでしたが、1階の書店、そして2階のギャラリーとこじんまりして素敵な所でした。
 昔は3人に1人以上が5歳までに命を落したといわれ、またお産そのもので亡くなる母親も多かったといわれる時代。生まれた子どもが元気に育ちますようにと願う思いが形となった背守り。その親の思いに強く魅かれています。なぜ“背”なのか。それは,背は後ろなので自分では防御できず、自分で見ることができない。そこで大人の着物と違って背縫いのない子どもの着物の背に“目”をつけたのではないか、いわれているそうです。背守りは魔よけのお守りなのですね。

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 子どもの着物の背に紐のようなものを縫いつけて子どもがあの世に落ちそうな時、つれて行かれそうになる時にその紐を引いて現世に戻すということを読んだことがありました。どの時代でも、子に対する強い思い、子を愛しいと思う気持ちに心うたれました。
 実物はやはりいいです。どんな子が着ていたのかな、お母さんは一針一針どんな気持ちをこめて、一日のどんな時に縫ったのかな・・・と想像を膨らませてくれます。背守りの図案もいろいろあり、糸じるしだけでなく、紐や小裂を縫いつけたりなど各々の形に込めた母の願いも見る側の胸に響いてきます。
 そして、実物だけではなく同時に展示されていた「石内 都展 ―幼き衣へ―」の写真も胸をうつものでした。
 (会場で驚くことがありました。昨年の沖縄の夏期学校で出会った方が目の前にいらっしゃるではありませんか。その方が興味を持っていらっしゃる、それも同じ時、同じ場所で会えたことは大変嬉しいことでした。)
(石川 廣美)

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2014年08月19日

元禄津波供養塔について −千葉県茂原市指定文化財―

 今年の4月5日(土)に千葉県文化財保護協会の文化財巡りに参加し、東上総地方(房総半島の東側)九十九里海岸にある仏像と文化財を見学しました。その際に立寄った鷲山寺(日蓮宗)の境内にある『元禄津波供養塔』を拝観し、改めて地震の大きさと津波による被害の大きさを知るとともに、改めて地震国である日本について深く思いを致しました。

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 元禄16年(1703年)11月22日夜丑の刻(午前2時頃)安房の東南海底に大地震が起こり、翌未明に大津波が来襲し、千葉県内各地に大被害を及ぼした。山武・長生・夷隅の各郡下の海岸地帯で数千名の溺死者があった。鷲山寺は九十九里浜一帯に信徒があったので、現在の白子町、九十九里町等の海岸の信徒によって建立された供養塔である。
 塔は初め参道入口に建立されたが交通事情により本堂前に移された。基壇正面に溺死者の村別人数が刻まれ、中里村死者328人が最高で、その合計は供養塔の右側面に大きく溺死者都合2,154人と刻まれている。添付した『元禄津波の供養塔や碑、言伝えの分布図』によって数えると24ヶ所もあり、如何に地震の規模が大きかったかを考えさせられる。

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 元禄の地震については歴史の上でも有名で、当時の江戸に於ける災害について大学の教師から話があったことを記憶している。
 先頃の東北の大地震の際には、千葉県旭市の海岸では津波による災害が記憶に新しい。
(木村 太郎)

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2014年07月13日

倉敷で全国大会

 6月13日、14日に第68回全国大会が倉敷で行われた。民藝協会ができて80周年の記念大会であった。町は賑わっていた。倉敷川には遊覧船が浮かび、人力車もたくさん出ている。大原美術館(本館)や喫茶店エルグレコも満杯。ところが、大原美術館の工芸館も民藝館もひっそりしている。青森の會田会長が前日に民藝館に行ったら「オレ一人だった」とのこと、私も翌日行ったが閑散としていた。民藝ブームのはずではないか、とがっかりしたがこんなものか。

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 さて大会の一番の目的は協会の活動について話し合うことである。今年は3年ごとの役員改選の時期であって、会長はほかに立候補者がいなかったので、金光さんが再任された。
 したがって会長の記念公演は金光さんである。「それはそれとして」というわかりにくい演題であった。が、ご説明によると、この言葉は鈴木大拙の言葉で、軸装されたものが大拙館にあるという。会長はこのところ、簡単に言って「ものより心」という言い方で、民藝協会の活動がものに偏してきたのではないか、柳師も民藝の安易な理解を戒め、「吾々が反省してよいのは、外敵よりも寧ろ内敵である」と警告していた、とおっしゃる。この論理からいうと、「それはそれとして」の「それ」は「物」を指している。ものを否定はしない、認めるが、もっと大切なものがあるからそっちに力を入れよう、という意味であろう。
 これについては意見の分かれるところである。ことにものを作っている人たち、販売している人たちにとってはあまり愉快な意見ではないだろう。「ものはどうでもいいのか」「心を伴わないもの作りがあるわけない」などという反発の声を聞く。私は去年の今頃、これについてブログに投稿した。民藝の立場ではものと心は分けられないのではないか、「ものより心」ではなくて、「ものと心」またはすくなくも「ものから心」ではないかという趣旨で反論を試みたのだが。(この拙文は金光会長にも見ていただいた)

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 心というものは実体のないもので、本を読んだり思弁に努めたりすれば立派な心が出来上がるというようなことではない。民藝協会が修養団体とか宗教団体とかになって、どんな活動ができるだろう。倉敷の古い町並み、これに私どもが心惹かれるのは、まさしく心がものを求めている、ものによって支えられているからである。会長がこれまでものに付き合ってきて、あげく「ものより心」の境地に達したということだろうが、それは個人的心情にとどめておいていただきたい、というのが私の考えである。
 続いて日本民藝館館長、深澤直人氏の記念講演があった。時間になると若い人たちがぞろぞろ(失礼)入場してきた。会員外の方々も聴講できる公開講座になっているもよう、去年の熊本大会と同じで、やはり深澤館長の人気が高いのだ。

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 さてお話の内容は、民藝館の収蔵品をかなりたくさん見て、その品々に共通する良さ、特性、性格は何か、それは「かわいい」ということではないか。柳たちは「美しい」という言葉より「いい」と言い合ったらしい。その「いい」には、当然美しい、正しいという意味が含まれているが、それだけでなく「かわいい」とでもいうべき意味が加わっていると思う。さらに、「かわいい」を成りたたせる形がどんなものかというと、丸みを帯びた四角、あるいは四角っぽい丸です。-----こんなお話であった。なるほど民藝品は完全な四角や丸にはなりにくいものである。しいて求めなくても、そんな形を作ってしまうものだ。
 「かわいい」はわかい女の子が連発する言葉で、彼女らのお下がりみたいな感が否めない、またそのせいかどうか口にするのがいくらか恥ずかしい気分が伴うものではあるが、「それはそれとして」なるほどと肯いた。

 長くなったので以下のことは省略します。「民藝」誌7月号に、村上さんが紹介なさっておられるので、そちらをお読み下さい。   (藤田)
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2014年06月08日

「世界のMUNAKATAに酔う」

美女と美景と美酒と共に
「世界のMUNAKATAに酔う」

開催日:6月21日(土)16時〜18時
会場:道の駅南魚沼今泉記念館アートステーション

○サロントーク
「棟方志功と女人たち」

サロントーク講師:石井頼子
開催日:6月21日(土)16時〜16時30分
今泉記念館二階ホールにて


(ちらしより抜粋)
美術作品を観賞しながら、ワイングラス日本酒を楽しむ。
そんな贅沢なアート観賞スタイルを、南魚沼から発信いたします。
豊かな自然と美しい景観の中にある今泉記念館には、知る人ぞ知る非常にユニークでゴージャスな棟方志功のコレクションが有ます。
また三つの酒蔵があり、健康的な食材に恵まれたこの土地で、この場所で、SAKEとMUNAKATAのコラボレーションができたらと思いました。
世界に誇れる南魚沼のSAKE(鶴齢・高千代・八海山)を片手に、世界が認めたMUNAKATA作品を、棟方志功を身近に知る孫で学芸員の石井頼子さんと共に鑑賞するという、今泉記念館ならではの企画。


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2014年05月12日

手元の郷土玩具(3)「中国・山東省の泥人形」

 今年の正月、福岡の太宰府天満宮へ初詣に出かけた際に、隣接する九州国立博物館の売店で見つけたもの。産地など詳しいことをその場で聞かなかったのだが、帰ってからインターネットで調べると、中国・山東省の「密(こうみつ)」というところで作られている泥人形(素焼きせずに、生泥をそのまま乾燥させ彩色したもの)らしい。思いがけぬ出会いに驚いたが、私が知らないだけで、中華街の土産物屋やアジア雑貨の店などでは案外当たり前のように売られているのかもしれない。

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泥叫虎

 虎は「泥叫虎」(「代响」とも)という玩具で、虎の胴体の前と後ろをなめし革または紙でつなぎ、胴を押すとアコーディオンのように空気が出て、虎の口の下の穴(葦の笛が嵌められている)からピッピッと音が鳴る。日本にも似たような「ぴいぴい」という玩具がある。

 もうひとつは「揺鼓」というもの。泥製の人形の中央が空洞になっていて、表側には丈夫な紙が張ってある。写真ではわかりにくいが、木の柄を廻すと、ばね仕掛になった小竹が白い土の歯車にはじかれて太鼓を叩き、パチパチという乾いた音を鳴らす。太鼓は何をデザインしたものかわからないが、他にも猿や人のかたちをしているものもある。黄・赤・緑などを配した僅かな彩色にも、日本の玩具とはひと味違う趣きがあって見飽きない。

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揺鼓(正面)

 素朴極まりないこれらの泥玩具は、戦前に旧満洲で日本人が蒐集した古い玩具の姿かたちをほぼそのまま留めている。戦前には旧満洲で専門に玩具を買いつける日本人がいて、その人から愛好家が買い求めた玩具コレクションが今も国内数ヶ所の博物館に収蔵され、図録も出版されている。戦後は日本人が容易に入ることのできない地域となったため、玩具たちのその後もわからないままだったが、近年また現地に出向いて玩具を探す人も出てきている。

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揺鼓(上から見たところ)

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揺鼓(横から見たところ)

 それにしても、終戦とその後の混乱、文化大革命、近代化といった時代の紆余曲折を経て、よくぞ今も作られているなぁとしみじみ思う。激動の時代を泳ぎ抜くだけの力が、この小さな泥人形たちに隠されているということか。
(千葉孝嗣)

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