こぎん刺しは、柳宗悦が雑誌「工芸14号」で素晴らしい言葉とともに紹介されたおかげで絶滅を逃れ、今に至っている。この工芸の文章には、故郷のこぎん刺しをこんなにも讃えてくれるのかと、涙が出そうなほど感動した。今もなお、こぎん刺しに携わる人の中にはこの文章を大切している人は少なくないはず。ところで、民藝と評された工芸はこぎん刺しのような布に限らず幅広く存在する。これらに柳宗悦はどのような言葉を残したのだろう、ふと気になった。柳宗悦の視点を辿ってみたいと思った。

ちょっと自分なりにも考えてみた。私にとって民藝とはアノニマスデザインだ。無名の職人が作る粋な日用品が民藝だと思っていた。でも、河井寛次郎、濱田庄司、…名だたる民藝の作家がいる。早々に矛盾が出て来た。そして、ある人が民藝は豊かな暮らしのための思想だと話してくれた。あれ?物じゃないの?私の中で民藝があっち行ったり、こっち行ったり、頭の中がぐるぐるしていた矢先に「民藝協会の民藝講座」が始まるという。願ったり叶ったりの機会であった。

民藝講座では5名の講師がそれぞれの視点で民藝を、柳宗悦を語ってくださった。民藝の概念が知りたいという目的があったが、今まで物のフォルムやその美しさにばかり囚われていた私ごときに摑みきれるものではない。とてつもなく壮大であることにとてつもない畏怖を感じた。柳宗悦の没後も、これだけ長くいろんな人が民藝を研究し語られている。しかもアプローチは多岐にわたり深い。民藝は掘っても掘っても私には一生掘りつくせないだろう。そしたら寧ろ俄然に、”今の”民藝が面白くなってきた。
今となっては、天然素材の手工芸品は、生活の必需品ではなく、贅沢な趣向品となり、スマホを介して効率的・高性能なモノやサービスを、手ごろに享受できる時代になった。私たちの生活にある日用品のラインナップには、形のあるモノだけじゃなくなって来ている。これからの時代の中で民藝という思想がどのような存在になっていくのか、どのような民藝観が見えてくるのか、民藝を追う楽しみができた。
(石井勝恵)