2020年02月15日

民藝講座を終えて

 私が民藝協会に入ったのがちょうど一年前。私はkoginbankという青森の伝統工芸であるこぎん刺しの魅力を伝えるウェブマガジンを運営しており、そのご縁で民藝をちょっと勉強してみようと。もともと、学生の時分からこぎん刺しに限らず、編粗品や各地の工芸品には関心があったので、今が深める機会だと思ったのだった。
 こぎん刺しは、柳宗悦が雑誌「工芸14号」で素晴らしい言葉とともに紹介されたおかげで絶滅を逃れ、今に至っている。この工芸の文章には、故郷のこぎん刺しをこんなにも讃えてくれるのかと、涙が出そうなほど感動した。今もなお、こぎん刺しに携わる人の中にはこの文章を大切している人は少なくないはず。ところで、民藝と評された工芸はこぎん刺しのような布に限らず幅広く存在する。これらに柳宗悦はどのような言葉を残したのだろう、ふと気になった。柳宗悦の視点を辿ってみたいと思った。

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 ちょっと自分なりにも考えてみた。私にとって民藝とはアノニマスデザインだ。無名の職人が作る粋な日用品が民藝だと思っていた。でも、河井寛次郎、濱田庄司、…名だたる民藝の作家がいる。早々に矛盾が出て来た。そして、ある人が民藝は豊かな暮らしのための思想だと話してくれた。あれ?物じゃないの?私の中で民藝があっち行ったり、こっち行ったり、頭の中がぐるぐるしていた矢先に「民藝協会の民藝講座」が始まるという。願ったり叶ったりの機会であった。

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 民藝講座では5名の講師がそれぞれの視点で民藝を、柳宗悦を語ってくださった。民藝の概念が知りたいという目的があったが、今まで物のフォルムやその美しさにばかり囚われていた私ごときに摑みきれるものではない。とてつもなく壮大であることにとてつもない畏怖を感じた。柳宗悦の没後も、これだけ長くいろんな人が民藝を研究し語られている。しかもアプローチは多岐にわたり深い。民藝は掘っても掘っても私には一生掘りつくせないだろう。そしたら寧ろ俄然に、”今の”民藝が面白くなってきた。
 今となっては、天然素材の手工芸品は、生活の必需品ではなく、贅沢な趣向品となり、スマホを介して効率的・高性能なモノやサービスを、手ごろに享受できる時代になった。私たちの生活にある日用品のラインナップには、形のあるモノだけじゃなくなって来ている。これからの時代の中で民藝という思想がどのような存在になっていくのか、どのような民藝観が見えてくるのか、民藝を追う楽しみができた。
(石井勝恵)
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2019年08月12日

東京民藝協会+日本民藝館友の会 日帰りバス旅行レポート(7月21日)

「どんな出逢いが待っているのかな。」
そんなワクワクした気持ちで迎えた、梅雨の終わりの日曜日。東京民藝協会と日本民藝館友の会の日帰りバス旅行に、友人2人と初めて参加させて頂きました。

初めて訪れた上田の街。目の前に広がる山並みに、真田丸でお馴染みになった真田の六文銭のマークに胸躍りながら、バスの旅が始まりました。

まず初めに、青木村郷土美術館へ。
入り口を入ると目に飛び込んできたのが、小さな木彫りの木端人形。スキーをする男性や大きな桶を担ぐ女性など、上田の人々の日常の姿を表現した、とても可愛らしい木彫人形の数々に、早くも心を奪われてしまいました。聞けば、大正時代に冬の間の副業として広まった農民芸術なのだとか。他にも、中村直人さんの大原女像、芭蕉像、良寛像という木彫りの作品は、いつまでも眺めていたい、そんな気持ちになる作品でした。

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そこから階段を登り、国宝大法寺三重塔へ。
見返して見たくなるほど美しいところから、「見返りの塔」と呼ばれるというその塔は、丘の中腹にひっそりと、そして厳かな姿で私たちを迎えてくれました。

道の駅あおきでは、お昼&お買い物タイム。
お昼に冷たいお蕎麦をいただき、お土産も沢山買って、メインイベントの修那羅峠へ。

これは登山???と思うほど、割と本格的な坂道を登り、山の上にある安宮神社へ。
身をかがめて入り口を抜けたその先に広がっていたのは、ヒンと冷えた空気と瑞々しい山の香り。その道端に所狭しと並ぶ、表情豊かで素朴な石神仏様は、どれもとても愛らしく、時間を忘れてしまうほどでした。中でも、ブナの木の穴の中にひっそりとおられるブナ観音様をみんなで探した時には、山の中で宝ものを探すような、そんなワクワク感も味わう事ができました。

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次にお邪魔した前山寺で、こまゆみ峠を遠くに眺めながら、名物のくるみおはぎを頂きました。甘さもほどよく、ほっとするお味のおはぎとお茶で、しばしの休息。

そして最後に、戦争で夢を奪われてしまった若者たちの作品を展示する無言館へ。どの作品も、美しく、優しく、力強く…そして切ない。色々な想いが頭をめぐり、胸にグッとくるものがありました。

こうして、楽しい上田の旅は終わりました。
初めてお会いした皆さんとも、いつのまにか仲間のような気持ちになれた、とても和やかな旅でした。

この様な素敵なツアーを企画して下さったことに感謝です。ありがとうございました。

柴田菜子



○この原稿について 
この原稿は、民藝館の古屋さんのご友人が書いて下さったものです。
バス旅行は、参加者が予定の人数に達しなくて、------という事は、会計が赤字になることを意味するのですが、困っていました。
古屋さんがご友人を何人も誘って下さって何とか形になりました。
おまけに、感想文まで書いて下さって、まことにありがたいことでした。
柴田さん、古屋さん、ありがとうございました。
それからもう一つ、上田民藝協会の、小市会長と、清水さんご夫妻に大変お世話になりました。
見学先、その組み合わせなどに助言をいただき、また下見にはお忙しい中ご案内までしていただきました。
さらに小市さんは当日もお金を払って参加して下さり、清水さんご夫妻は車を出して下さいました。本当に助かりました。
重ね重ねありがとうございました。/藤田

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2019年06月18日

「お岩木さま」に愛される弘前 〜日本民藝協会全国大会〜

 弘前という土地は岩木山に見守られて広がっている。土地に住む人々は朝な夕なに岩木山を眺め、毎日の心の支えにしている。心の支えにするのもむべなるかな、一つには弘前は周囲に競うような大きさの山がとんと見受けられないからであろう。その高さ、1,625m。とは言うものの、身近なようでいて案外近寄りがたいものだ。ある面からは穏やかな稜線を描くのに対して、別の面から見るとゴツゴツ険しい。岩木山は「穏やかさ」も「険しさ」もどちらも併せ持っている。だからこそなのか、土地の人々は岩木山を呼び捨てにせず「お山」とか「お岩木さま」などと敬って呼ぶそうな。年に1回のお山参詣も廃れず今に続いている。
 さて、土地土地の恵みを受けた民藝は生活に「幸せ」を添えるために存在しているとつくづく思う。昔は使う人の顔が見えていたものだから、作り手は使い手を想いながら作っていたと聞く。当然出来上がったモノもそれぞれの身体の部位に添うのである。

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弘前城から望む岩木山

 「吾唯足るを知る」という言葉がある。自身の環境は一つの恵まれたものなのであるから、それはそれとして受け入れよ、大体こんな意味である。現代の生活はモノに溢れている分、一つ一つの価値観がよく顧みられないまま消費されている。そのため、「もっと××したい、○○が欲しい」という欲望が先に立ち、止まることを知らない。ただし、手に入れた瞬間に「使う」ということよりも「手に入れた」ことに満足して終わってしまうのはあまりにも悲しいではないか。または使っていても粗雑な扱いでモノの寿命を早めてしまうのも、また悲しいではないか。
 太陽がどんなものにも平等に優しく日差しを投げかけるように、「無」から生まれた「有」を私達はもっと愛さなければなるまい。その生み出された力は驚嘆に値するのであるから。
 今回、弘前に生まれて初めて出向いてこぎん刺しや悪戸焼、伊達げら…等々の民藝に触れた。決して主張が強いわけではない。こぎん刺しは麻の藍染にびっしりと木綿の糸を刺すことで寒さを防いできた。使い手ができるだけ温かく包まれるよう願って刺されたのだろう。隙間なくびっしり糸を刺している。悪戸焼は暗い色合いであるものの、却って重厚感のある焼き物だ。その色使いを見ていると心が静まってくる。伊達げらは雨や雪を防ぐ「蓑」に似たもの。首回りをぐるりと囲むように刺繍が施されている。使い手を大事に思って一刺し一刺し刺したのだろうか…?じっとこれらの品々(弘前市立博物館にて「青森県の民芸」を開催していた)を見ているとこのような感興が浮かんできた。夫婦が共白髪になるまで連れ添うのと同じように、ずっと使い手の生活に寄り添ってきたのは確かであろう。
 手仕事の温かみがしみじみと湧き出るのは、素朴な美しさを曲がりなりにも感じ取れるようになったから。そして、素朴な美しさとは反対側に位置する美の存在を曖昧に把握するようになったからではないだろうか。このような和歌がある。
 花をのみまつらん人に山里の
           ゆき間の草の春を見せばや(新古今和歌集・藤原家隆)
※梅とか桜の華やかな美しさしか知らない人に、雪に埋もれてひっそりと春を待つ草や花の素朴な美しさを是非お見せしたいものだ。
 利休が侘茶の心得をこの和歌をもって示したように、茶道も民藝も「ゆき間の草」に美を見出す。「素朴」ということは素直でありのままであり、力強さを秘めている。「素朴」な美を秘めたモノは使えば使うほど身に馴染み、壊れにくいものだ。ただ、こうした「素朴」な美を感じ取れるのも梅や桜の対極に位置する「華やかな」美を知っているからである。「華やか」な美は儚い。一時の盛り上がりを見せて散ってしまう。繊細ではあるがどこか遠い存在だ。使うというよりも眺める。「華やか」な美と「素朴」な美を両方知った上で、「素朴」な美が良いと直観する。それが茶道であり民藝である。

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弘前こぎん研究所にて

 弘前のあの数々な「素朴」な美を支えている存在として、岩木山への厚い信仰があるのだろう。恵みも与えてくれる象徴でもあるから、土地の人々は眺める時にはお山を探し、毎年のお山参詣も欠かさない。対して「華やかな」美を具体的にコレと言うのは難しいけれども、実用的ではなく、お飾りのようなものが総じて当てはまるであろう。
 土地土地は人々に恵みを与えもすれば、いとも簡単に奪いもする。冒頭で触れたように穏やかでもあり、険しい岩木山は弘前の象徴として、今までも、そしてこれからもそうあり続けるのだろう。捉えようのない超越的な存在を受け入れ、畏れ、敬い、愛す。弘前の種種の民藝の宝はこうして育まれた。亀の子の歩みではあるけれども、民藝の一つ一つの宝を観る眼を育てていこう。弘前の風にそう、決意を促されたのであった。<終 2019.6.16>
(東京民藝協会 鈴木華子)

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2019年04月29日

吉田さんギャラリートークレポート

みなさん、初めまして。東京民藝協会会員の金子安也女です。同協会の藤田さんからの“ご厚意”で、先日「べにや民芸店」さんで行われたギャラリートークの様子をレポートさせていただきます!

現在、「べにや民芸店」さんでは吉田義和さんの「今戸土人形」展を開催中です(会期:2019年4月27日(土)〜5月6日(月・祝))。私が会場に到着したのは 19時直前だったのですが、すでに幾つかの作品は売り切れになっており大盛況です。展示初日のギャラリートークには吉田義和さんご本人と広島県民藝協会会員の千葉孝嗣さんが登壇され、20名を超えるお客様が参加されました。

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初めて見る吉田義和さんの第一印象は“強面”(スミマセン)、しかし一旦話し始めると吉田さんの柔らかい口調と飾らない人柄に惹きつけられます。千葉さんのファシリテートのもと、吉田さんと今戸人形との出会い、製作を始めたキッカケ、作り方などに話題が広がります。

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吉田さんは、最後の今戸人形師といわれた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)の今戸人形に魅せられ「彼が作った昔ながらの今戸人形を(後世に)残したい」と語ります。吉田さんが生まれた時には既に尾張屋春吉翁さんは亡くなられていたので、実際に今戸人形を作る作業を見ることはできず、残された人形や文献を参考に製作工程を想像しながら製作しています。今戸人形を作り始めて 30年近く経ちますが、今でも製作工程には試行錯誤する点もあるそうです。

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吉田さんのこだわりは昔ながらの今戸人形の「姿」だけではありません。原料や素材にもこだわります。例えば「土」。今戸人形は江戸の郷土玩具ですから、土も江戸(東京)ものと決めています。どうやって採取しているのかと思えば、なんと工事現場に行ってブルドーザーで掘られた土を譲ってもらうのだとか! もらった土はそのままだと使えないので、不純物を何度も取り除く作業をして粘土に仕上げます。絵付のイメージはありますが、土作りまでやっているとは思いもしませんでした。職人さんって意外と肉体労働なのですね。。そのほか「絵の具」にもこだわり、昔からある胡粉・墨などに膠(にかわ)を混ぜたものを使います。アクリルの絵の具を使った方が扱いは楽なのですが「経年した時に昔に作られたものと同じように古びて欲しい」という想いから、昔ながらの絵の具を使います。一方、昔作られていなかった形や出土しないものは、オリジナルで創作します。オリジナルのものを今戸人形と呼んでいいものか躊躇いもあったそうですが、お客様には好評で一安心したそうです。伝統と重んじ守るところは守りつつ、新たな魅力を開拓しているのですね。

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ギャラリートークを通して、吉田さんの今戸人形に対する愛情や真っ直ぐな想いを感じることができました。途中「べにや民芸店」の奥村さんが「吉田さんの作品の魅力は作為的でない」というコメントを聞き、ポン!と膝を叩きました(心の中で)。吉田さんの今戸人形はもちろん、郷土玩具の何とも言えない愛くるしさに惹きつけられる理由はまさに「作為的でない」部分にあるのだと思います。人為的な狙い・あざとさ・媚を売る感じなど、出来れば感じたくないものが一切無い。だから見ていて心地良い、側に置いてもホッとするのではないでしょうか。

生きる上では必ずしも必要ではない人形。昔は神頼みや縁起担ぎで作ったそうですが、物質的に豊かになった現代における今戸人形の価値は何なのでしょう。単なるインテリアでは無いことは確かだけど、うまく表現する言葉が見つかりません。でも本能的に「ステキ!」と思えるものには言葉は不要かもしませんね。
GW にお時間がある方は是非、吉田さんの今戸人形展にお出かけください!ほっこりしますよ。(完)
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2018年12月03日

生誕三百年 木喰展 (身延町なかとみ現代工芸美術館)の見学会に参加して その2

 9/16の日曜美術館の放送を観て「ぜひ、行きたい!」と思っていた山梨県身延町なかとみ現代工芸美術館で開催の木喰展。ちょうど同じタイミングで届いた東京民藝協会のお便りに木喰展見学のお誘いのチラシが同封されており、お声掛け下さった大島さんたちとご一緒させていただくことになりました。

 当日、あれほど楽しみにしていたのにもかかわらず、予約していたバスに乗り遅れてしまうという大失態を犯してしまいました。次のバスも予約でいっぱいでキャンセル待ちをしたところで乗れるかどうかは不明。一瞬頭が真っ白になりましたが、ならばと電車で行くことに。バスターミナルから15分後に出発する松本行きのあずさに飛び乗り、甲府まで。その後美濃部線というローカル線に乗り換え、美術館の最寄駅で出会った方たちに相乗りさせていただきました。

 そしてようやく展覧会場となるに到着。以前柚木先生の展覧会のお手伝いでお会いしたことがある方以外は「はじめまして」の方ばかり。初めてなのに遅刻して...恥ずかしさで穴があったら入りたい気分でしたが、皆さん、「大変だったわねぇ」と笑いながらも温かく迎え入れて下さいました。道路が渋滞していて皆さんもちょうど着いたところでした。

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期間限定の「木喰おろしそば」

 さてようやく展覧会会場へ。1度目はそれぞれ自由に鑑賞。お昼を挟んで2度目の鑑賞は日曜美術館の放送でも登場されていた身延町教育委員会主査・深沢広太さんが案内して下さいました。今回案内いただけたのは、訪問にあたり、幹事の大島さんが「美術館の方から2・3つお話が聞けたらありがたい」とお願いして下さっていたお蔭です。深沢さんは考古学がご専門で、普段は別の場所で勤務されているとのことでした。とても気さくな方で、自己紹介も「日本民藝館の館長さんと同じ苗字なんですよー」とお互いの共通点を見つけて距離感を縮めていくような配慮を感じました。

 コンパスを使用して描いたという阿弥陀如来図の光背(目を近づけて見てみると小さな穴が確認できました)お堂に集まっていた人たちがお酒に酔っ払った勢いで髪の毛を塗ってしまった木喰像、柳宗悦先生が木喰の子孫である伊藤家に宛てた手紙など一度目はサラーっと見てしまった作品が、深澤さんの解説によって深く理解出来るようになりました。その中で一番心に残ったのは、すり減って顔がなくなっていた木喰像。冬にこどもたちがソリ替わりにして遊んだようで、周囲の大人もそのことに対して誰も咎めなかったこと。仏像というと、うやうやしく祀られているイメージがありましたが、木喰像に限ってはおそらくとても身近な存在だったのではないかと。子どもたちが楽しそうに遊んでいる光景を木喰さんがニコニコしながら見守っているようなそんなシーンが頭の中に浮かびました。

 会場内を歩きながらふと思ったのが、木喰さんは61歳から仏像を彫り始めたとのことですが、それ以前は何も彫る機会がなかったのでしょうか。61歳でいきなり仏像を彫れるなんてすごいなぁと。機会があったらお尋ねしたいです。
近藤惠美
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2018年11月17日

生誕三百年 木喰展 (身延町なかとみ現代工芸美術館)の見学会に参加して

天候にも恵まれ、又民藝協会ならではの解説をしていただき、とても充実した1日でした。ありがとうございました。
木彫の仏とじっと対面していると顔の表情が動きだし、何か云って下さっている様でしたが、まだまだ聞き取れず、老後に向かって(今真っ盛り中ですが)画集と対面したり、古本屋で以前手に入れていた柳宗悦著の「木喰さん」を少しずつ読んでみようと思っています
(鈴木祝子)


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2017年11月18日

会員栗山さんのお店「標(しもと)」

今年当協会に入会して下さった栗山花子さんという方がいらして、お店をやっているということをお聞きした。ホームページを拝見すると、店主栗山さんの一所懸命さが伝わってくる。
最初のページの左側に「産地や作り手」という項目があって、民藝関係ではなじみのある窯などの名前が並んでいる。それらの産地や作り手を訪ねて、その様子を写真と文章で紹介している。
昨今は民藝ブームで、人気のある窯などでは需要に対して生産が追い付かない状態がもう何年も続いているという。電話一本で送ってきてくれるというのは過去のこと、したがって仕入のために直接出向くことになるのだろうが、そうしたからといって順調に運ぶわけでもない。ましてやこういっては失礼だが、新参である。そういう不利な状態でこれだけの窯の品物をおいていることは大変なことではないだろうか。かけた時間と労力、熱意に感心させられる。

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さらに「うつわの値段」という項目があって、ものと値段の関係を解説し、それに対するご自分の考え方を書いている。産地、窯元ごとにさまざまな事情があって一律には語れないこと、珍しいものや変わったもの手のこんだものより、定番でつくられているものを無理のない値段で販売したいという。こういうことは、当人が言わなくても店のあり方に自ずとあらわれるものではないかという意見があるだろう。しかし買い手の初心者にとっては、その店が何を考えて品物を選び、値付けをしているかを知るのも有益ではないだろうか。

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お聞きすると、以前は違う仕事をしていた。体を壊して休職中にあちこち見て回るうちに自分がこういうものが好きらしいということに気付いた。最初のうちは見たり買ったりするだけだったが、そのうちに露店などに出店するようになり、やがて通信販売を始めた。それが5年くらい前のこと、そして去年夏に開店したのだという。多分よいお客さんがついているのだろう。ほとんど一人でやっていて、たまに母上に店番を頼んでいるとのことである。

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山手線駒込駅から歩いてすぐ、にぎやかな商店街の一角にある。焼きものの他に編組品、古い器などもある。流行りの雑貨類はあまりなくて、分類するとすれば民藝店か。ご本人は、民藝店を名乗るほどの店ではありませんとおっしゃっている。なに店かどうかはどうでもいいことで、好きなものを並べていたら民藝店に近い店になったのかな、と私は勝手に思ったのだが。

最後に店の名前のことだが、「標」という漢字一文字で、「しもと」と読むのだそうだ。難読漢字である。こんど来歴をきいてみよう。
(藤田)


住所:北区中里1-4-3 丸一コーポ101 山手線駒込駅東口から徒歩2分
 
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2017年07月03日

第71回全国大会松本大会の報告

 5月の松本は爽快だ。これを「山高く水清くして風光る」というそうで、27日㈯、28日㈰はこの街で開催される「クラフトフェアまつもと」なるお祭りを目指して全国から愛好家がわんさか訪れる。駅正面から会場の「あがたの森公園」まで延びる道は、列をなすといっていいくらいの人出である。ついでに、「ちきりや」などがある中町通り、縄手通りあたりも混雑を極める。

 ちょうどこの期間、第71回全国大会があった。よそから参加した会員が80人、地元の参加者が40人、去年の東京大会が全部で110人で、このところの参加者数はこんなものである。総会、懇親会の会場は、たぶん松本でいちばん大きなホテル「ホテル ブエナビスタ」であった。
 全国大会とはいうものの、運営に関する諸々については、前日(26日)の全国理事会ですでに決定しており、総会はその発表を聞くというか追認するというかの機関になる。であるから、大会はやらなくてはならないが、どちらかというと年に一度の交歓の場になる。  
 これについて、お祭り騒ぎで下らんという批判も当然ある。また開催協会の負担が大きくて、引き受けられる協会が限られてくる。そんな理由から、近年は全国大会を地方で開催するのは止めて、事務的に東京でやったどうかという意見も出てくるようになった。

 -------というようなこともあるのだが、松本大会は豪華、盛りだくさんの大会であった。大会そのもののほかに、「信州の手仕事展」を主催、さらに市立博物館、松本民芸館などで関連の展覧会を行った。また、大会冊子に加えて、『信州民芸』という小冊子も発行した。2冊は、柳、リーチ、池田三四郎らの事績、松本との縁を紹介するなどの内容で、企画から装丁まで立派なものである。広告もたくさん入っているからすごい。これら一連の行事、刊行物を拝見すると、長野県協会には有力者や優秀な会員がたくさんおられることがうかがえる。にしても、ここまでに漕ぎつけることは大仕事、大変な時間と手間とお金がかかっているだろう。深澤会長、滝沢理事以下会員の皆さまに深く感謝したい。
 
 さて、所定の総会議事である。実は今期が協会役員の改選年であった。また、昨年来会則の見直し、変更が検討されていた。この変更に基づいて、会長以下の人事が決定された。会長は金光章氏(岡山県協会)に代わって、曾田秀明氏(青森県協会)が就任した。専務理事は当協会の佐藤阡朗氏が留任、他の理事にも入れ替えがあった。さらに新しく委員会なるものを3つ作って、活動の活性化をはかることになった。
 協会の財政は特別協力金を加えてなお毎年250万円程度の赤字が続いている。保坂事務長のお話では、このままの状態ではあと5年くらいで資金不足になるという。長期低迷は今に始まったことではないが、いよいよ切羽詰まった感がある。新任の役員はこれから3年の間に、思い切った対策をたてて実行していかなくてはならない。困ったことに、私も役員で留任しなくてはならなくなった。30年ばかり前に一愛好家として、しかも金も目もない素人で入会しただけなのに大変なことになっている。憂鬱である。

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 議事終了後、柏木博氏「心地よい暮し」と近藤誠一氏「日本人の心と技」の2講演があった。前者は「玩物草子」という著書があるくらいのもの好きな方で、好きなものや中村好文氏の設計になる自邸の紹介があった。「様式の統一感が心地よさをもたらす」という言葉が記憶に残っている。後者は西欧的自然観と比較しての日本人の自然観の解説。
 懇親会で最初に歌手上条恒彦が登場、上条は松本周辺に多い苗字であって、やはりこの辺りの出身だという。高校生のころかの「まるも」に出入りしていて、民藝を知ったとのこと。70歳半ばにしては体格のいい人で、そこからあの声が出る。「だれかが風の中で」と「生きていくと言うことは」を聞いた。よかった。
 写真は記念品の三代澤本寿の型染め手ぬぐい、中央アルプスの図柄だという。
(藤田)


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2016年06月28日

第70回日本民藝協会、全国大会後の懇親会

 総会は、平成28年6月3日(金)午後、日本近代文学館講堂を会場に催行された。各地での懇親会場はホテルなどで行なわれるが東京は、大会の開催場所、懇親会場の費用を考慮し、東京大学駒場キャンパス内の駒場ファカルテイハウスに場所を移し約110名が参加し午後五時から懇親会が行なわれた。
@民藝に相応しい懇親場所の選定
 総会参加者の略全員が参加。近代文学館から、会場への移動途中にはサツキ、紫陽花をはじめ多くの草花、樹木が多く、歩を休め、目を和ませて参加者の会話が弾んだ。会場の「Faculty」とは才能・手腕・機能などの意味もあるが場所は、ファカルテイハウスなので民藝を趣味や調査研究をされておられる会員の集いに少しでも相応しい会場と考えて、立食であるが大半の出席者の椅子が準備され、経過時間を忘れ終始笑顔と会話の途切れのない懇親会であった。
A堅い決意と誓いへ温かい賛同の声
 総会は無事に終了し課題や問題点、対応も明確になり、計画も承認され、安堵と卒業・終了「Commencement」であるが、このCommencementは、英語では物事の「開始」を意味している。
 全国の民藝協会の方々の紹介と挨拶も順番に行われた。
 今年度の夏期学校の佐久並びに豊田会場、更には、来年度の全国大会開催地長野県、夏期学校飛騨高山並びに出雲会場の挨拶には、開催の企画や地域の紹介など成功への堅い決意と参加協力への呼び掛けが行われた。会員からの「Go for Broke」の声援や既に参加が決まっている人は会場や地域への興味もあって個々に話を伺っておられた。
Bおもてなしの心の再発見
 総会では、特別講演に料理研究家の土井善晴氏が「料理と民藝」と題し行われた。先生は家庭料理を中心に活躍され、総会の参加者に相応しく「道具とうつわ」など民藝との係わりを中心に話された。午前中は、NHK総合で午前10:30〜「きょうの料理」の講師、午後の講演、懇親会と終日ご多忙の中、懇親会でも再登場いただいた。
 先生が集められた、石皿、織部鉢、白磁皿、漆碗、陶板など等と家庭料理の組合せと彩り、片口での抹茶など講演時の映像が会員の脳裏に焼きついていて、懇親会場での再登場の「おもてなしの心」の一言の挨拶には、会員は明日からの料理の楽しさに思いを馳せ、先生の周りには、順番に記念撮影やサインを求める人々が続いた。中にはメタボで暴飲暴食や自宅には、民藝品の多さに溺れて使わない人々には、土井善晴先生の言葉、健康的には、美食に溺れず、時には、一汁三菜でもなく、一汁一菜の提唱、蒐集した美しい民藝の器に料理が盛られてこその素材である。おもてなしの心で、器は使用してこそ料理にも価値が見出されるの言葉を噛締めたり、耳の痛い人々もおられたようだ。
C民藝運動の記録映画上映
 バーナード・リーチが一九三五年頃に日本や朝鮮半島の窯場や紀行を撮影したフィルムをマーテイー・グロス監督が現在ビデオ化の作業を推進している。現在、その途中であるが元フィルムの上映が行なわれた。
 懇親会の席上では、続編を杉山享司学芸部長が知見を加えたアドリブでナレーションを入れ説明されたので会員の理解度も増して大変に好評であった。
D別れを惜しむ声と明日からの歌舞伎見学等などに思いを馳せて
 今日の大会での決定事項や懇親会での貴重な出会いを各自が、明日への思いを馳せ、会場を後にされた。
以上。
(会員 田部隆幸)
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2015年10月15日

京都夏期学校の付録

 民藝運動90年目の今年、第150回「日本民藝夏期学校」京都会場に参加してきました。
 「柳宗悦が生涯求め続けたもの」「民藝―これからのはじまりー」の二つの講義と「日本の色(日本民藝館の沖縄の染色物について)」の公開講座、二日目の木喰仏拝観、山崎山荘美術館など実り多い充実した学びについては諸先輩の方々が書いて下さると思い、私は二泊三日の夏期学校の前泊、後泊の京都の旅について書かせていただきます。
 折角の旅、夏期学校や大会に参加する時は欲張って前後泊して行ってみたい所を訪れるのも楽しみのひとつになっています。京都駅を降りて最初に訪れたのが「殿田」といううどん屋さん。ベテランの女性が朝早く起きて出汁をとり一人で店をきりもりしているお店です。(行ってみると年配の男性も接客されていましたが)たぬきうどんを注文すると特製の油揚げと生姜、餡掛でとろりとして美味しいこと!汁まで全部飲みました。そして安い。
 お客さんも近くの会社員の方が殆どで落ち着いた雰囲気も素敵でしたが、何といってもお店で働いていらっしゃるお二人の人柄の良さが心にしみわたり、大の大の大満足で最高のスタートをきることができました。
 次に、友人から勧められていた「茶寮 都路里」へ。行列ができていて1時間近く並びました。たぬきうどんと巻き寿司を食べていたので食べられるかちょっと心配しましたが名物の抹茶カステラや白玉、栗、抹茶寒天やクリームが入った大きな抹茶パフェを完食して、又又、大満足。ホテルに寄ってから「赤垣屋」へ。タクシーの運転手さんも「知る人ぞ知る。」とおっしゃっていた居酒屋です。古い縄暖簾をくぐると年季の入った室内。お客さんがいっぱいです。(京都では)まず日本酒、そして「きずし」と「てっぱい」を注文し、友人と乾杯・・・・。心もお腹も満たされた一日目でした。
 三日目は午前中に閉校式が終わった後、「河井寛次郎記念館」を訪れ、住居そして窯を見学しました。素晴らしい作品を製作された寛次郎の生活に触れることができ嬉しかったです。
 次に夏期学校で勧められた「京都民芸資料館」を訪ねました。今年で34年目になる旧家土蔵を移築改修した趣のある建物の中で、特別展「柳宗悦と京都」をみることができました。
 その後は久しぶりに会えた夏期学校の友に教えてもらった「茶香房 長竹」へ。元はお茶屋さんのため、抹茶のデザート系を注文する方が多い中での食事です。芸舞妓さんの団扇がたくさん飾られた中、できたての料理を美味しくいただき、店主や馴染みのお客さんと話が盛りあがり、時計を見ると4時間ちかく経っていたのでびっくりしたのも思い出になっています。

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 いよいよ帰る日。三日目の公開講座をされた吉岡幸雄氏のお店「染司 よしおか」に行き、草木染めの美しい品々を愛でさせていただきました。そして近くにある「デゴイチ」という日本最大級の巨大レイアウトがある鉄道模型のお店に寄りました。運転を体験できたり、走る電車を見ながら食事ができます。私は、駅弁を食べました。(陶器ではないけれどあの懐かしい形の容器に入ったお茶付きです。)
 その後、前回の東京オリンピックの年にできたという京都タワーに初めてのぼり、知恩院をはじめ、この5日間で訪れたところを望遠鏡でみて、京都駅に歩を進めました。
(石川 廣美)

posted by 東京民藝協会 at 17:24| Comment(0) | レポート