2019年04月29日

吉田さんギャラリートークレポート

みなさん、初めまして。東京民藝協会会員の金子安也女です。同協会の藤田さんからの“ご厚意”で、先日「べにや民芸店」さんで行われたギャラリートークの様子をレポートさせていただきます!

現在、「べにや民芸店」さんでは吉田義和さんの「今戸土人形」展を開催中です(会期:2019年4月27日(土)〜5月6日(月・祝))。私が会場に到着したのは 19時直前だったのですが、すでに幾つかの作品は売り切れになっており大盛況です。展示初日のギャラリートークには吉田義和さんご本人と広島県民藝協会会員の千葉孝嗣さんが登壇され、20名を超えるお客様が参加されました。

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初めて見る吉田義和さんの第一印象は“強面”(スミマセン)、しかし一旦話し始めると吉田さんの柔らかい口調と飾らない人柄に惹きつけられます。千葉さんのファシリテートのもと、吉田さんと今戸人形との出会い、製作を始めたキッカケ、作り方などに話題が広がります。

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吉田さんは、最後の今戸人形師といわれた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)の今戸人形に魅せられ「彼が作った昔ながらの今戸人形を(後世に)残したい」と語ります。吉田さんが生まれた時には既に尾張屋春吉翁さんは亡くなられていたので、実際に今戸人形を作る作業を見ることはできず、残された人形や文献を参考に製作工程を想像しながら製作しています。今戸人形を作り始めて 30年近く経ちますが、今でも製作工程には試行錯誤する点もあるそうです。

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吉田さんのこだわりは昔ながらの今戸人形の「姿」だけではありません。原料や素材にもこだわります。例えば「土」。今戸人形は江戸の郷土玩具ですから、土も江戸(東京)ものと決めています。どうやって採取しているのかと思えば、なんと工事現場に行ってブルドーザーで掘られた土を譲ってもらうのだとか! もらった土はそのままだと使えないので、不純物を何度も取り除く作業をして粘土に仕上げます。絵付のイメージはありますが、土作りまでやっているとは思いもしませんでした。職人さんって意外と肉体労働なのですね。。そのほか「絵の具」にもこだわり、昔からある胡粉・墨などに膠(にかわ)を混ぜたものを使います。アクリルの絵の具を使った方が扱いは楽なのですが「経年した時に昔に作られたものと同じように古びて欲しい」という想いから、昔ながらの絵の具を使います。一方、昔作られていなかった形や出土しないものは、オリジナルで創作します。オリジナルのものを今戸人形と呼んでいいものか躊躇いもあったそうですが、お客様には好評で一安心したそうです。伝統と重んじ守るところは守りつつ、新たな魅力を開拓しているのですね。

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ギャラリートークを通して、吉田さんの今戸人形に対する愛情や真っ直ぐな想いを感じることができました。途中「べにや民芸店」の奥村さんが「吉田さんの作品の魅力は作為的でない」というコメントを聞き、ポン!と膝を叩きました(心の中で)。吉田さんの今戸人形はもちろん、郷土玩具の何とも言えない愛くるしさに惹きつけられる理由はまさに「作為的でない」部分にあるのだと思います。人為的な狙い・あざとさ・媚を売る感じなど、出来れば感じたくないものが一切無い。だから見ていて心地良い、側に置いてもホッとするのではないでしょうか。

生きる上では必ずしも必要ではない人形。昔は神頼みや縁起担ぎで作ったそうですが、物質的に豊かになった現代における今戸人形の価値は何なのでしょう。単なるインテリアでは無いことは確かだけど、うまく表現する言葉が見つかりません。でも本能的に「ステキ!」と思えるものには言葉は不要かもしませんね。
GW にお時間がある方は是非、吉田さんの今戸人形展にお出かけください!ほっこりしますよ。(完)
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2018年12月03日

生誕三百年 木喰展 (身延町なかとみ現代工芸美術館)の見学会に参加して その2

 9/16の日曜美術館の放送を観て「ぜひ、行きたい!」と思っていた山梨県身延町なかとみ現代工芸美術館で開催の木喰展。ちょうど同じタイミングで届いた東京民藝協会のお便りに木喰展見学のお誘いのチラシが同封されており、お声掛け下さった大島さんたちとご一緒させていただくことになりました。

 当日、あれほど楽しみにしていたのにもかかわらず、予約していたバスに乗り遅れてしまうという大失態を犯してしまいました。次のバスも予約でいっぱいでキャンセル待ちをしたところで乗れるかどうかは不明。一瞬頭が真っ白になりましたが、ならばと電車で行くことに。バスターミナルから15分後に出発する松本行きのあずさに飛び乗り、甲府まで。その後美濃部線というローカル線に乗り換え、美術館の最寄駅で出会った方たちに相乗りさせていただきました。

 そしてようやく展覧会場となるに到着。以前柚木先生の展覧会のお手伝いでお会いしたことがある方以外は「はじめまして」の方ばかり。初めてなのに遅刻して...恥ずかしさで穴があったら入りたい気分でしたが、皆さん、「大変だったわねぇ」と笑いながらも温かく迎え入れて下さいました。道路が渋滞していて皆さんもちょうど着いたところでした。

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期間限定の「木喰おろしそば」

 さてようやく展覧会会場へ。1度目はそれぞれ自由に鑑賞。お昼を挟んで2度目の鑑賞は日曜美術館の放送でも登場されていた身延町教育委員会主査・深沢広太さんが案内して下さいました。今回案内いただけたのは、訪問にあたり、幹事の大島さんが「美術館の方から2・3つお話が聞けたらありがたい」とお願いして下さっていたお蔭です。深沢さんは考古学がご専門で、普段は別の場所で勤務されているとのことでした。とても気さくな方で、自己紹介も「日本民藝館の館長さんと同じ苗字なんですよー」とお互いの共通点を見つけて距離感を縮めていくような配慮を感じました。

 コンパスを使用して描いたという阿弥陀如来図の光背(目を近づけて見てみると小さな穴が確認できました)お堂に集まっていた人たちがお酒に酔っ払った勢いで髪の毛を塗ってしまった木喰像、柳宗悦先生が木喰の子孫である伊藤家に宛てた手紙など一度目はサラーっと見てしまった作品が、深澤さんの解説によって深く理解出来るようになりました。その中で一番心に残ったのは、すり減って顔がなくなっていた木喰像。冬にこどもたちがソリ替わりにして遊んだようで、周囲の大人もそのことに対して誰も咎めなかったこと。仏像というと、うやうやしく祀られているイメージがありましたが、木喰像に限ってはおそらくとても身近な存在だったのではないかと。子どもたちが楽しそうに遊んでいる光景を木喰さんがニコニコしながら見守っているようなそんなシーンが頭の中に浮かびました。

 会場内を歩きながらふと思ったのが、木喰さんは61歳から仏像を彫り始めたとのことですが、それ以前は何も彫る機会がなかったのでしょうか。61歳でいきなり仏像を彫れるなんてすごいなぁと。機会があったらお尋ねしたいです。
近藤惠美
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2018年11月17日

生誕三百年 木喰展 (身延町なかとみ現代工芸美術館)の見学会に参加して

天候にも恵まれ、又民藝協会ならではの解説をしていただき、とても充実した1日でした。ありがとうございました。
木彫の仏とじっと対面していると顔の表情が動きだし、何か云って下さっている様でしたが、まだまだ聞き取れず、老後に向かって(今真っ盛り中ですが)画集と対面したり、古本屋で以前手に入れていた柳宗悦著の「木喰さん」を少しずつ読んでみようと思っています
(鈴木祝子)


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2017年11月18日

会員栗山さんのお店「標(しもと)」

今年当協会に入会して下さった栗山花子さんという方がいらして、お店をやっているということをお聞きした。ホームページを拝見すると、店主栗山さんの一所懸命さが伝わってくる。
最初のページの左側に「産地や作り手」という項目があって、民藝関係ではなじみのある窯などの名前が並んでいる。それらの産地や作り手を訪ねて、その様子を写真と文章で紹介している。
昨今は民藝ブームで、人気のある窯などでは需要に対して生産が追い付かない状態がもう何年も続いているという。電話一本で送ってきてくれるというのは過去のこと、したがって仕入のために直接出向くことになるのだろうが、そうしたからといって順調に運ぶわけでもない。ましてやこういっては失礼だが、新参である。そういう不利な状態でこれだけの窯の品物をおいていることは大変なことではないだろうか。かけた時間と労力、熱意に感心させられる。

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さらに「うつわの値段」という項目があって、ものと値段の関係を解説し、それに対するご自分の考え方を書いている。産地、窯元ごとにさまざまな事情があって一律には語れないこと、珍しいものや変わったもの手のこんだものより、定番でつくられているものを無理のない値段で販売したいという。こういうことは、当人が言わなくても店のあり方に自ずとあらわれるものではないかという意見があるだろう。しかし買い手の初心者にとっては、その店が何を考えて品物を選び、値付けをしているかを知るのも有益ではないだろうか。

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お聞きすると、以前は違う仕事をしていた。体を壊して休職中にあちこち見て回るうちに自分がこういうものが好きらしいということに気付いた。最初のうちは見たり買ったりするだけだったが、そのうちに露店などに出店するようになり、やがて通信販売を始めた。それが5年くらい前のこと、そして去年夏に開店したのだという。多分よいお客さんがついているのだろう。ほとんど一人でやっていて、たまに母上に店番を頼んでいるとのことである。

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山手線駒込駅から歩いてすぐ、にぎやかな商店街の一角にある。焼きものの他に編組品、古い器などもある。流行りの雑貨類はあまりなくて、分類するとすれば民藝店か。ご本人は、民藝店を名乗るほどの店ではありませんとおっしゃっている。なに店かどうかはどうでもいいことで、好きなものを並べていたら民藝店に近い店になったのかな、と私は勝手に思ったのだが。

最後に店の名前のことだが、「標」という漢字一文字で、「しもと」と読むのだそうだ。難読漢字である。こんど来歴をきいてみよう。
(藤田)


住所:北区中里1-4-3 丸一コーポ101 山手線駒込駅東口から徒歩2分
 
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2017年07月03日

第71回全国大会松本大会の報告

 5月の松本は爽快だ。これを「山高く水清くして風光る」というそうで、27日㈯、28日㈰はこの街で開催される「クラフトフェアまつもと」なるお祭りを目指して全国から愛好家がわんさか訪れる。駅正面から会場の「あがたの森公園」まで延びる道は、列をなすといっていいくらいの人出である。ついでに、「ちきりや」などがある中町通り、縄手通りあたりも混雑を極める。

 ちょうどこの期間、第71回全国大会があった。よそから参加した会員が80人、地元の参加者が40人、去年の東京大会が全部で110人で、このところの参加者数はこんなものである。総会、懇親会の会場は、たぶん松本でいちばん大きなホテル「ホテル ブエナビスタ」であった。
 全国大会とはいうものの、運営に関する諸々については、前日(26日)の全国理事会ですでに決定しており、総会はその発表を聞くというか追認するというかの機関になる。であるから、大会はやらなくてはならないが、どちらかというと年に一度の交歓の場になる。  
 これについて、お祭り騒ぎで下らんという批判も当然ある。また開催協会の負担が大きくて、引き受けられる協会が限られてくる。そんな理由から、近年は全国大会を地方で開催するのは止めて、事務的に東京でやったどうかという意見も出てくるようになった。

 -------というようなこともあるのだが、松本大会は豪華、盛りだくさんの大会であった。大会そのもののほかに、「信州の手仕事展」を主催、さらに市立博物館、松本民芸館などで関連の展覧会を行った。また、大会冊子に加えて、『信州民芸』という小冊子も発行した。2冊は、柳、リーチ、池田三四郎らの事績、松本との縁を紹介するなどの内容で、企画から装丁まで立派なものである。広告もたくさん入っているからすごい。これら一連の行事、刊行物を拝見すると、長野県協会には有力者や優秀な会員がたくさんおられることがうかがえる。にしても、ここまでに漕ぎつけることは大仕事、大変な時間と手間とお金がかかっているだろう。深澤会長、滝沢理事以下会員の皆さまに深く感謝したい。
 
 さて、所定の総会議事である。実は今期が協会役員の改選年であった。また、昨年来会則の見直し、変更が検討されていた。この変更に基づいて、会長以下の人事が決定された。会長は金光章氏(岡山県協会)に代わって、曾田秀明氏(青森県協会)が就任した。専務理事は当協会の佐藤阡朗氏が留任、他の理事にも入れ替えがあった。さらに新しく委員会なるものを3つ作って、活動の活性化をはかることになった。
 協会の財政は特別協力金を加えてなお毎年250万円程度の赤字が続いている。保坂事務長のお話では、このままの状態ではあと5年くらいで資金不足になるという。長期低迷は今に始まったことではないが、いよいよ切羽詰まった感がある。新任の役員はこれから3年の間に、思い切った対策をたてて実行していかなくてはならない。困ったことに、私も役員で留任しなくてはならなくなった。30年ばかり前に一愛好家として、しかも金も目もない素人で入会しただけなのに大変なことになっている。憂鬱である。

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 議事終了後、柏木博氏「心地よい暮し」と近藤誠一氏「日本人の心と技」の2講演があった。前者は「玩物草子」という著書があるくらいのもの好きな方で、好きなものや中村好文氏の設計になる自邸の紹介があった。「様式の統一感が心地よさをもたらす」という言葉が記憶に残っている。後者は西欧的自然観と比較しての日本人の自然観の解説。
 懇親会で最初に歌手上条恒彦が登場、上条は松本周辺に多い苗字であって、やはりこの辺りの出身だという。高校生のころかの「まるも」に出入りしていて、民藝を知ったとのこと。70歳半ばにしては体格のいい人で、そこからあの声が出る。「だれかが風の中で」と「生きていくと言うことは」を聞いた。よかった。
 写真は記念品の三代澤本寿の型染め手ぬぐい、中央アルプスの図柄だという。
(藤田)


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2016年06月28日

第70回日本民藝協会、全国大会後の懇親会

 総会は、平成28年6月3日(金)午後、日本近代文学館講堂を会場に催行された。各地での懇親会場はホテルなどで行なわれるが東京は、大会の開催場所、懇親会場の費用を考慮し、東京大学駒場キャンパス内の駒場ファカルテイハウスに場所を移し約110名が参加し午後五時から懇親会が行なわれた。
@民藝に相応しい懇親場所の選定
 総会参加者の略全員が参加。近代文学館から、会場への移動途中にはサツキ、紫陽花をはじめ多くの草花、樹木が多く、歩を休め、目を和ませて参加者の会話が弾んだ。会場の「Faculty」とは才能・手腕・機能などの意味もあるが場所は、ファカルテイハウスなので民藝を趣味や調査研究をされておられる会員の集いに少しでも相応しい会場と考えて、立食であるが大半の出席者の椅子が準備され、経過時間を忘れ終始笑顔と会話の途切れのない懇親会であった。
A堅い決意と誓いへ温かい賛同の声
 総会は無事に終了し課題や問題点、対応も明確になり、計画も承認され、安堵と卒業・終了「Commencement」であるが、このCommencementは、英語では物事の「開始」を意味している。
 全国の民藝協会の方々の紹介と挨拶も順番に行われた。
 今年度の夏期学校の佐久並びに豊田会場、更には、来年度の全国大会開催地長野県、夏期学校飛騨高山並びに出雲会場の挨拶には、開催の企画や地域の紹介など成功への堅い決意と参加協力への呼び掛けが行われた。会員からの「Go for Broke」の声援や既に参加が決まっている人は会場や地域への興味もあって個々に話を伺っておられた。
Bおもてなしの心の再発見
 総会では、特別講演に料理研究家の土井善晴氏が「料理と民藝」と題し行われた。先生は家庭料理を中心に活躍され、総会の参加者に相応しく「道具とうつわ」など民藝との係わりを中心に話された。午前中は、NHK総合で午前10:30〜「きょうの料理」の講師、午後の講演、懇親会と終日ご多忙の中、懇親会でも再登場いただいた。
 先生が集められた、石皿、織部鉢、白磁皿、漆碗、陶板など等と家庭料理の組合せと彩り、片口での抹茶など講演時の映像が会員の脳裏に焼きついていて、懇親会場での再登場の「おもてなしの心」の一言の挨拶には、会員は明日からの料理の楽しさに思いを馳せ、先生の周りには、順番に記念撮影やサインを求める人々が続いた。中にはメタボで暴飲暴食や自宅には、民藝品の多さに溺れて使わない人々には、土井善晴先生の言葉、健康的には、美食に溺れず、時には、一汁三菜でもなく、一汁一菜の提唱、蒐集した美しい民藝の器に料理が盛られてこその素材である。おもてなしの心で、器は使用してこそ料理にも価値が見出されるの言葉を噛締めたり、耳の痛い人々もおられたようだ。
C民藝運動の記録映画上映
 バーナード・リーチが一九三五年頃に日本や朝鮮半島の窯場や紀行を撮影したフィルムをマーテイー・グロス監督が現在ビデオ化の作業を推進している。現在、その途中であるが元フィルムの上映が行なわれた。
 懇親会の席上では、続編を杉山享司学芸部長が知見を加えたアドリブでナレーションを入れ説明されたので会員の理解度も増して大変に好評であった。
D別れを惜しむ声と明日からの歌舞伎見学等などに思いを馳せて
 今日の大会での決定事項や懇親会での貴重な出会いを各自が、明日への思いを馳せ、会場を後にされた。
以上。
(会員 田部隆幸)
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2015年10月15日

京都夏期学校の付録

 民藝運動90年目の今年、第150回「日本民藝夏期学校」京都会場に参加してきました。
 「柳宗悦が生涯求め続けたもの」「民藝―これからのはじまりー」の二つの講義と「日本の色(日本民藝館の沖縄の染色物について)」の公開講座、二日目の木喰仏拝観、山崎山荘美術館など実り多い充実した学びについては諸先輩の方々が書いて下さると思い、私は二泊三日の夏期学校の前泊、後泊の京都の旅について書かせていただきます。
 折角の旅、夏期学校や大会に参加する時は欲張って前後泊して行ってみたい所を訪れるのも楽しみのひとつになっています。京都駅を降りて最初に訪れたのが「殿田」といううどん屋さん。ベテランの女性が朝早く起きて出汁をとり一人で店をきりもりしているお店です。(行ってみると年配の男性も接客されていましたが)たぬきうどんを注文すると特製の油揚げと生姜、餡掛でとろりとして美味しいこと!汁まで全部飲みました。そして安い。
 お客さんも近くの会社員の方が殆どで落ち着いた雰囲気も素敵でしたが、何といってもお店で働いていらっしゃるお二人の人柄の良さが心にしみわたり、大の大の大満足で最高のスタートをきることができました。
 次に、友人から勧められていた「茶寮 都路里」へ。行列ができていて1時間近く並びました。たぬきうどんと巻き寿司を食べていたので食べられるかちょっと心配しましたが名物の抹茶カステラや白玉、栗、抹茶寒天やクリームが入った大きな抹茶パフェを完食して、又又、大満足。ホテルに寄ってから「赤垣屋」へ。タクシーの運転手さんも「知る人ぞ知る。」とおっしゃっていた居酒屋です。古い縄暖簾をくぐると年季の入った室内。お客さんがいっぱいです。(京都では)まず日本酒、そして「きずし」と「てっぱい」を注文し、友人と乾杯・・・・。心もお腹も満たされた一日目でした。
 三日目は午前中に閉校式が終わった後、「河井寛次郎記念館」を訪れ、住居そして窯を見学しました。素晴らしい作品を製作された寛次郎の生活に触れることができ嬉しかったです。
 次に夏期学校で勧められた「京都民芸資料館」を訪ねました。今年で34年目になる旧家土蔵を移築改修した趣のある建物の中で、特別展「柳宗悦と京都」をみることができました。
 その後は久しぶりに会えた夏期学校の友に教えてもらった「茶香房 長竹」へ。元はお茶屋さんのため、抹茶のデザート系を注文する方が多い中での食事です。芸舞妓さんの団扇がたくさん飾られた中、できたての料理を美味しくいただき、店主や馴染みのお客さんと話が盛りあがり、時計を見ると4時間ちかく経っていたのでびっくりしたのも思い出になっています。

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 いよいよ帰る日。三日目の公開講座をされた吉岡幸雄氏のお店「染司 よしおか」に行き、草木染めの美しい品々を愛でさせていただきました。そして近くにある「デゴイチ」という日本最大級の巨大レイアウトがある鉄道模型のお店に寄りました。運転を体験できたり、走る電車を見ながら食事ができます。私は、駅弁を食べました。(陶器ではないけれどあの懐かしい形の容器に入ったお茶付きです。)
 その後、前回の東京オリンピックの年にできたという京都タワーに初めてのぼり、知恩院をはじめ、この5日間で訪れたところを望遠鏡でみて、京都駅に歩を進めました。
(石川 廣美)

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2015年07月28日

青森県民藝協会70周年行事

 弘前に行ってきた。高い建物が少ないせいか空が広くて、町のどこからでもお城の緑の頭が見える。城のある町はいいなあ。うろうろしていたら堀にぶつかった。堀は水をたたえて、涼しい風がわたってくる。堀のうちは木々が盛り上がっている。
 ああ何処サ行ても、/おら達ネだけァ/弘前だけァえンたドゴア何処ねも無のセ!(一戸謙三「弘前」)という詠嘆もうべなるかな。-----ただし冬は大変そう。

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 「民藝」誌に、青森県協会が創立70周年で、「青森県の民藝展」をやるという記事があった。會田会長のお話もあるという。70周年というのは大変なことで、来年の全国大会がやはり70回目というから、青森県協会は日本民藝協会とほぼ同時期に発足したのだろう。一度くらい拝見、拝聴しなくてはバチがあたるかと思って、さて新幹線に乗れば北の果て青森もいまや5時間ばかりでついてしまう。
 会場は弘前市の町の中心あたり、「百石町展示館」という明治時代の建物である。外壁を漆喰で仕上げた擬洋風建築で、以前は銀行だったとか。カウンターがそのまま(多分)残っていて、中が展示場、そこに津軽凧絵、けら、刺し子、根曲り竹やイタヤの編組品などの古いものがならんでいる。2階は、やはり昔の悪戸焼などの展示と、現在の民藝品の販売である。

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 會田さんのお話では、3分の1くらいが相馬貞三の所蔵品、あとは、個人から借りたそうだ。展覧会を行うには、相応しい品物を選び、借りてきて、会場設営、展示をして、会期中は立ち合って、終わったら返却しなくてはならない。相当な時間と手間がかかる、展示、撤収で脚立を上り下りするだけでも一仕事。もちろん金もかかる。これを協会員、しかも多分年金受給者の多い会員が行うのは大変なことである。「第23回くらしの美行事」とも書いてあるから、秋田県協会の方々はこれを23回続けてきたのだろう。會田さんのお店「つがる工芸店」で、相馬貞三著『美の法門研鑽』という題だけで敬遠したくなる本を買った。巻末の年譜によるとこの行事の第1回が1982年だったということで、つまりは30年以上にわたって毎年か隔年くらいで開催してきたのだ。

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 写真は、展示場風景と、津軽凧絵の佐藤とく子さん、會田さんがお話になっているところ。會田さんの写真に写った左側の方は會田夫人です。夫人は相馬貞三氏の3姉妹のご長女、外村先生のところで学ばれたそうで、會田さんがおっしゃるには、民藝の中で育って外村先生のところに行っていたのだからかなわない、判断に迷ったときはかみさんに聞くんだ、とのこと。その夫人が、會田さんのおはなしを聞きながら熱心にメモを取っていて、なんとなくおかしかった。私はといえば、なぜかどうにも眠くて居眠りをしてしまい、大変失礼をしてしまった。青森まででかけて、とんだバチあたりの所業であった。會田さん申し訳ありません。
最後の写真は付録、ねぶたの準備が始まっているようだった。
(藤田)

                           
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2015年06月06日

平成27年度 日本民藝協会全国大会宮城大会

2015年5月30日、宮城県の松島で開催された全国大会に参加してきました。会場は広大な敷地をもつ旅館「松島一の坊」さん。
大会テーマの「手仕事の国・東北の未来」ということで、日本民藝館館長の深澤直人氏と東北の若い作り手三人(白磁の田代里見氏、ガラスの伊藤嘉輝氏、樺細工の米沢研吾氏)によるパネルディスカッションが行われました。公開講座ということで、一般の、特に若い参加者が多くみられ、「民藝」また「深澤館長」への関心の高さが伺えました。

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講座は、深澤館長の質問に対して三人が答えるという形で、終始和やかにというより、やや緊張感のある雰囲気で進んでいきました。
真摯な田代さんと、柔軟な伊藤さん、そして静かで熱い米沢さんといった印象で、それぞれの受け答えが三者三様で対照的でしたが、発言の端々には、共通して自らの仕事に対しての責任感と信念を感じることができました。
三人の作品は近年の日本民藝館展に出品・入選されており、深澤館長からも暮らしに取り入れてみたくなると高く評価されていました(実際購入されたそうです)。入口に設けられた売り場は大盛況で喜ばしいことでした。

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そして第二部は、野外に移動し、広い青空の下で行われました。
ここからは参加者もまじっての質疑応答。民藝に長く携わってこられた協会員の方々にマイクが向けられましたが、館長にアドバイスを求めたりと非常に好意的で、民藝と民藝協会の今後を期待するが声が多かったように思えます。

懇親会では、地元の小学生が大室南部神楽を踊りに来てくれました。30分にわたって一心不乱に踊る、かわいい姿に感動しました。
宮城県民藝協会の白鳥さん曰く、踊ってくれた子どもたちは仮設住宅に住んでおり、演舞をする機会を与えてくれたことに神楽保存会の方から感謝されたとのこと。
またまた目頭が熱くなりました。

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次の日は研修旅行がありましたが、私は参加せず、芹沢_介美術工芸館、そして光原社さんにいって帰路につきました。
宮城県民藝協会の皆様、本当にありがとうございました。お疲れ様でした。
(奥村)

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2014年09月27日

日本民藝夏期学校 我孫子会場

 両親の家の跡地に小さな家を建て、越谷から松戸に転居して14年になります。その頃地方紙に載った「我孫子市白樺文学館」と「柳兼子さんのカレー」の話を目にして興味を持ち、あるとき我孫子に出かけました。
手賀沼を借景としたおだやかなどこか懐かしい風景でした。東京民藝協会の皆さんと共に歩いたらどうかと思いたち、市役所でパンフレットをもらって「鳥の博物館」から沼を巡って歩きました。その後志賀会長からもいろいろとお話を伺ってますますその気になり、東京民藝協会の「我孫子散策」が実現しました。皆でうなぎを食したことなど思い出されます。(2009年10月22日 10月例会)

その後広島民藝協会の方達の希望があって、石丸重尚さん、佐藤阡朗さんたちと文学館を鑑賞し、民藝と白樺ゆかりの地を歩きました。駅から手賀沼への下り坂手前のレストランで、手の込んだ「兼子さんのカレー」をいただき交流の花が咲いた1日でした。(2013年3月3日 広島民藝協会と合同の3月例会)

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 私が知る民藝と係る3度目がこの夏期学校です。私は地元を知る一人として我孫子駅改札口で案内に立ちました。顔見知りの会員達とは、声を交わせましたが、1時間程の間に何人の方達が通られたか解かりませんでした。会場に着いてみるとすでに一杯の参加者でした。さすが民藝協会の会員達、早めに来られて手賀沼付近を散策した方々もおられたようです。
 翌10日船で手賀沼遊覧の折、高台にある三樹荘と呼ばれる元柳家の三本の椎の木を確認出来て幸せでした。
 それから、この三度の機会に立ち会って下さった竹下賢治さんの「柳宗悦の父楢悦の研究」は新鮮でした。
それにしても台風と同居したような数日の中、予定したスケジュールが全部実現出来、本当によかったと思います。私も少しはお手伝い出来たかと心密かに嬉しく思いました。
 これからも民藝草創期の聖地として全国の民藝ファンにも見て、感じて、知っていてもらいたい、同時に当時の面影の残る町であり続けてほしい「我孫子」です。
(内山 昭子)

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