ああ何処サ行ても、/おら達ネだけァ/弘前だけァえンたドゴア何処ねも無のセ!(一戸謙三「弘前」)という詠嘆もうべなるかな。-----ただし冬は大変そう。

「民藝」誌に、青森県協会が創立70周年で、「青森県の民藝展」をやるという記事があった。會田会長のお話もあるという。70周年というのは大変なことで、来年の全国大会がやはり70回目というから、青森県協会は日本民藝協会とほぼ同時期に発足したのだろう。一度くらい拝見、拝聴しなくてはバチがあたるかと思って、さて新幹線に乗れば北の果て青森もいまや5時間ばかりでついてしまう。
会場は弘前市の町の中心あたり、「百石町展示館」という明治時代の建物である。外壁を漆喰で仕上げた擬洋風建築で、以前は銀行だったとか。カウンターがそのまま(多分)残っていて、中が展示場、そこに津軽凧絵、けら、刺し子、根曲り竹やイタヤの編組品などの古いものがならんでいる。2階は、やはり昔の悪戸焼などの展示と、現在の民藝品の販売である。

會田さんのお話では、3分の1くらいが相馬貞三の所蔵品、あとは、個人から借りたそうだ。展覧会を行うには、相応しい品物を選び、借りてきて、会場設営、展示をして、会期中は立ち合って、終わったら返却しなくてはならない。相当な時間と手間がかかる、展示、撤収で脚立を上り下りするだけでも一仕事。もちろん金もかかる。これを協会員、しかも多分年金受給者の多い会員が行うのは大変なことである。「第23回くらしの美行事」とも書いてあるから、秋田県協会の方々はこれを23回続けてきたのだろう。會田さんのお店「つがる工芸店」で、相馬貞三著『美の法門研鑽』という題だけで敬遠したくなる本を買った。巻末の年譜によるとこの行事の第1回が1982年だったということで、つまりは30年以上にわたって毎年か隔年くらいで開催してきたのだ。


写真は、展示場風景と、津軽凧絵の佐藤とく子さん、會田さんがお話になっているところ。會田さんの写真に写った左側の方は會田夫人です。夫人は相馬貞三氏の3姉妹のご長女、外村先生のところで学ばれたそうで、會田さんがおっしゃるには、民藝の中で育って外村先生のところに行っていたのだからかなわない、判断に迷ったときはかみさんに聞くんだ、とのこと。その夫人が、會田さんのおはなしを聞きながら熱心にメモを取っていて、なんとなくおかしかった。私はといえば、なぜかどうにも眠くて居眠りをしてしまい、大変失礼をしてしまった。青森まででかけて、とんだバチあたりの所業であった。會田さん申し訳ありません。
最後の写真は付録、ねぶたの準備が始まっているようだった。
(藤田)