2015年07月28日

青森県民藝協会70周年行事

 弘前に行ってきた。高い建物が少ないせいか空が広くて、町のどこからでもお城の緑の頭が見える。城のある町はいいなあ。うろうろしていたら堀にぶつかった。堀は水をたたえて、涼しい風がわたってくる。堀のうちは木々が盛り上がっている。
 ああ何処サ行ても、/おら達ネだけァ/弘前だけァえンたドゴア何処ねも無のセ!(一戸謙三「弘前」)という詠嘆もうべなるかな。-----ただし冬は大変そう。

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 「民藝」誌に、青森県協会が創立70周年で、「青森県の民藝展」をやるという記事があった。會田会長のお話もあるという。70周年というのは大変なことで、来年の全国大会がやはり70回目というから、青森県協会は日本民藝協会とほぼ同時期に発足したのだろう。一度くらい拝見、拝聴しなくてはバチがあたるかと思って、さて新幹線に乗れば北の果て青森もいまや5時間ばかりでついてしまう。
 会場は弘前市の町の中心あたり、「百石町展示館」という明治時代の建物である。外壁を漆喰で仕上げた擬洋風建築で、以前は銀行だったとか。カウンターがそのまま(多分)残っていて、中が展示場、そこに津軽凧絵、けら、刺し子、根曲り竹やイタヤの編組品などの古いものがならんでいる。2階は、やはり昔の悪戸焼などの展示と、現在の民藝品の販売である。

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 會田さんのお話では、3分の1くらいが相馬貞三の所蔵品、あとは、個人から借りたそうだ。展覧会を行うには、相応しい品物を選び、借りてきて、会場設営、展示をして、会期中は立ち合って、終わったら返却しなくてはならない。相当な時間と手間がかかる、展示、撤収で脚立を上り下りするだけでも一仕事。もちろん金もかかる。これを協会員、しかも多分年金受給者の多い会員が行うのは大変なことである。「第23回くらしの美行事」とも書いてあるから、秋田県協会の方々はこれを23回続けてきたのだろう。會田さんのお店「つがる工芸店」で、相馬貞三著『美の法門研鑽』という題だけで敬遠したくなる本を買った。巻末の年譜によるとこの行事の第1回が1982年だったということで、つまりは30年以上にわたって毎年か隔年くらいで開催してきたのだ。

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 写真は、展示場風景と、津軽凧絵の佐藤とく子さん、會田さんがお話になっているところ。會田さんの写真に写った左側の方は會田夫人です。夫人は相馬貞三氏の3姉妹のご長女、外村先生のところで学ばれたそうで、會田さんがおっしゃるには、民藝の中で育って外村先生のところに行っていたのだからかなわない、判断に迷ったときはかみさんに聞くんだ、とのこと。その夫人が、會田さんのおはなしを聞きながら熱心にメモを取っていて、なんとなくおかしかった。私はといえば、なぜかどうにも眠くて居眠りをしてしまい、大変失礼をしてしまった。青森まででかけて、とんだバチあたりの所業であった。會田さん申し訳ありません。
最後の写真は付録、ねぶたの準備が始まっているようだった。
(藤田)

                           
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2015年06月06日

平成27年度 日本民藝協会全国大会宮城大会

2015年5月30日、宮城県の松島で開催された全国大会に参加してきました。会場は広大な敷地をもつ旅館「松島一の坊」さん。
大会テーマの「手仕事の国・東北の未来」ということで、日本民藝館館長の深澤直人氏と東北の若い作り手三人(白磁の田代里見氏、ガラスの伊藤嘉輝氏、樺細工の米沢研吾氏)によるパネルディスカッションが行われました。公開講座ということで、一般の、特に若い参加者が多くみられ、「民藝」また「深澤館長」への関心の高さが伺えました。

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講座は、深澤館長の質問に対して三人が答えるという形で、終始和やかにというより、やや緊張感のある雰囲気で進んでいきました。
真摯な田代さんと、柔軟な伊藤さん、そして静かで熱い米沢さんといった印象で、それぞれの受け答えが三者三様で対照的でしたが、発言の端々には、共通して自らの仕事に対しての責任感と信念を感じることができました。
三人の作品は近年の日本民藝館展に出品・入選されており、深澤館長からも暮らしに取り入れてみたくなると高く評価されていました(実際購入されたそうです)。入口に設けられた売り場は大盛況で喜ばしいことでした。

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そして第二部は、野外に移動し、広い青空の下で行われました。
ここからは参加者もまじっての質疑応答。民藝に長く携わってこられた協会員の方々にマイクが向けられましたが、館長にアドバイスを求めたりと非常に好意的で、民藝と民藝協会の今後を期待するが声が多かったように思えます。

懇親会では、地元の小学生が大室南部神楽を踊りに来てくれました。30分にわたって一心不乱に踊る、かわいい姿に感動しました。
宮城県民藝協会の白鳥さん曰く、踊ってくれた子どもたちは仮設住宅に住んでおり、演舞をする機会を与えてくれたことに神楽保存会の方から感謝されたとのこと。
またまた目頭が熱くなりました。

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次の日は研修旅行がありましたが、私は参加せず、芹沢_介美術工芸館、そして光原社さんにいって帰路につきました。
宮城県民藝協会の皆様、本当にありがとうございました。お疲れ様でした。
(奥村)

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2014年09月27日

日本民藝夏期学校 我孫子会場

 両親の家の跡地に小さな家を建て、越谷から松戸に転居して14年になります。その頃地方紙に載った「我孫子市白樺文学館」と「柳兼子さんのカレー」の話を目にして興味を持ち、あるとき我孫子に出かけました。
手賀沼を借景としたおだやかなどこか懐かしい風景でした。東京民藝協会の皆さんと共に歩いたらどうかと思いたち、市役所でパンフレットをもらって「鳥の博物館」から沼を巡って歩きました。その後志賀会長からもいろいろとお話を伺ってますますその気になり、東京民藝協会の「我孫子散策」が実現しました。皆でうなぎを食したことなど思い出されます。(2009年10月22日 10月例会)

その後広島民藝協会の方達の希望があって、石丸重尚さん、佐藤阡朗さんたちと文学館を鑑賞し、民藝と白樺ゆかりの地を歩きました。駅から手賀沼への下り坂手前のレストランで、手の込んだ「兼子さんのカレー」をいただき交流の花が咲いた1日でした。(2013年3月3日 広島民藝協会と合同の3月例会)

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 私が知る民藝と係る3度目がこの夏期学校です。私は地元を知る一人として我孫子駅改札口で案内に立ちました。顔見知りの会員達とは、声を交わせましたが、1時間程の間に何人の方達が通られたか解かりませんでした。会場に着いてみるとすでに一杯の参加者でした。さすが民藝協会の会員達、早めに来られて手賀沼付近を散策した方々もおられたようです。
 翌10日船で手賀沼遊覧の折、高台にある三樹荘と呼ばれる元柳家の三本の椎の木を確認出来て幸せでした。
 それから、この三度の機会に立ち会って下さった竹下賢治さんの「柳宗悦の父楢悦の研究」は新鮮でした。
それにしても台風と同居したような数日の中、予定したスケジュールが全部実現出来、本当によかったと思います。私も少しはお手伝い出来たかと心密かに嬉しく思いました。
 これからも民藝草創期の聖地として全国の民藝ファンにも見て、感じて、知っていてもらいたい、同時に当時の面影の残る町であり続けてほしい「我孫子」です。
(内山 昭子)

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2014年08月28日

「日本民藝夏期学校 我孫子会場」に参加して。

8月10日は、「キツネの嫁入り」のような不安定な天候で、予定より先に手賀沼周遊をさせてもらいました。
そのおかげで、地理や景色も頭に入り、2日目の講義をいっそう興味をもって拝聴することができました。

白樺文学館で昨年まで学芸員をされていた竹下賢治さんのお話は「柳宗悦の父・楢悦〜殖産興業がつなぐ父と兄、そして叔父」がテーマ。民藝に着目した宗悦のルーツをたどるような面白さがありました。
海軍軍人で、日本沿岸の測量と海図の作成を日本人の手で成し遂げた楢悦は、「海の伊能忠敬」と呼ばれ、いまも海上保安庁で尊敬されている人物です。竹下さんは、同庁に残された柳文庫なども丹念に調べられたそうで、柳家と我孫子との出会いを、楢悦が手掛けた手賀沼の鴨猟調査に見出されました。
「無比ノ美味」である鴨を、米作のできない土地の人々の生活に活かす「人民授産」の一端とできないか、という発想があったらしい、とのこと。この楢悦の魅力的なところは、養殖真珠「ミキモト」で有名な御木本幸吉を励ましたエピソードにも感じられました。御木本は、楢悦を偲ぶ遺稿集を発行しましたが、その中身は日本各地の美味しいもの品書きやレシピだとか。趣味人で旺盛な好奇心の持ち主だった楢悦は、国の権威で尊敬されたのではなく、人間としての魅力があったのでしょう。周囲の人たちに慕われ、わいわいと楽しんだであろう人柄が伝わってくるようです。

彼の「殖産興業」の志は、義弟や息子にも受け継がれた様子が示されました。
長男の悦多は千葉県館山で漁業の技師として働くとともに、
旧制安房中の柔道教師、さらには農業分野でも温室栽培や牛乳生産まで手掛けたそうで、
経済的に苦しい中学生には牛乳販売のアルバイトも世話したのだとか。
楢悦の妻・勝子の弟が、「柔道の父」嘉納治五郎で、その嘉納もまた我孫子で農園を開き、多くの弟子を送り込みました。農業の専門家として、現在の千葉大になる園芸高等専門学校から技術者を招き、生徒のための寄宿舎も用意したそうです。
この時代の、「食べていける」国づくりの必要性と、若い人たちに食べていける力をつけさせる教育への情熱は、時代を経たいま聴いても胸が熱くなるものがあります。
人々の生活を大切に考える姿勢は、父の背中を見ないで育った宗悦にも引き継がれていったのだと感じました。

最後の講義は我孫子市教育委員会の辻史郎さん。テーマは「我孫子の地誌〜柳宗悦の『我孫子から(通信第二)』から読み解く」でした。
身近な関東の歴史を興味深く紹介してくださいました。

中でもびっくりしたのは、この地がかつて相馬郡下総の国で「相馬」を名乗っていたとのこと。その後、福島県の相馬地方まで勢力を伸ばしたものの、戦乱の世を経て、飛び地として残された地が「相馬」を名乗り続けたのだということでした。
1000年の時を越えても仲間意識は健在で、東日本大震災の折には、相馬から避難してきた人たちが「我孫子に来れば、何とかなるのではと思った」と言って、我孫子市の人たちを驚かせたそうです。
この地の大きな貝塚を発見したのが在野の好事家、染谷大太郎という手賀村の民間人だったことも興味深く心強いことです。
大量の埴輪を掘ってスケッチし、それを帝大の教授に見せて調査委託までされたというから、この地方の人たちの底力を感じました。

私は高校まで千葉で暮らしたので、ある程度地元のことを知っているように思っていましたが、目からウロコがボロボロ落ちた気がします。ありがとうございました。
 (鶴見知子)
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2014年08月07日

「晴れの国」岡山での3日間

 6月13日(金)〜15日(日)、第68回「日本民藝協会全国大会が倉敷で催されました。公開記念講演である日本民藝館館長の深澤直人氏のお話「デザインと民藝」は私にとって心に強く残るものでした。
舞台に写し出された一枚目が 「これいい」 この一言です。 ―「これいい」は単純な言葉ではない。「いい」とは何だろう?「いい」と「よい」とは違うー という話から 「かわいい」  という言葉に繋がっていき、ラブリーではないチェリッシュの「かわいい」が柳宗悦の美学にあるのではないか。又、「かわいい」は平和思想に繋がるなど目から鱗のお話でした。柳宗悦の蒐集品を何点か紹介され、手でつくられた物の「かわいい」を具体的に説明されました。写真と言葉の使われ方に説得力があり、ただただ頷いて聞くばかりです。その後も「かわいい」「チェリッシュ」という言葉が頭から離れず、会員の方達とも度々その言葉を使って話をしていました。

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 翌日の研修旅行は、1泊2日の岡山県県北を巡るコースです。
 倉敷ガラス50周年記念展を催していた倉敷民藝館を見学してから、国宝「吉備津神社」を拝観しましたが、さすがに見事な建物で、本殿、拝殿はもとより、本殿から南の本宮社をつなぐ約400mの廻廊の見事さには圧倒されるばかりです。その後、安藤忠雄氏設計の高梁市成羽美術館に行きました。大原美術館の西洋近代絵画蒐集に尽力した洋画家児島虎次郎(成羽町出身)の作品を中心に多数展示された美術館であるので大原美術館の魅力をより理解することができたと思います。
 次に吹屋ふるさと村、県重要文化財である広兼邸、ベンガラ館を訪れ、江戸時代から明治にかけて中国筋第1の銅山町(江戸後期からベンガラという特産品の生産も)として繁昌した土地や建物に触れることができました。その日の宿の近くにある吹屋の町並を散策したり、旧片山家を見学したりした後、平成24年度まで1世紀以上開校していた旧吹屋小学校を訪れました。(テレビのロケ地としても使われた小学校は、ライトアップされて夜もその美しさを味わえ、嬉しかったです。)
 夜の講和は、「漆の館」館長の小野忠司氏です。漆掻き職人である小野さんのお話は経験に基づいたものであり、和漆といっても東日本系と西日本系のものとでは違うなど初めて知ることが多々ありました。
 翌日は蒜前高原を経由して「郷原漆器の館」に行き、復興した郷原漆器の作り方を目の前で見せていただきました。
 たくさんのことを学び、体験できたうえに我孫子で御一緒した広島民藝協会の方や昨年群馬の旅でお世話になった方、そして東京民藝協会の皆様などたくさんの人と出会い、お話をすることができた倉敷大会。岡山県民藝協会の皆様のおかげでとっても素敵な3日間を過ごすことができました。
 本当にありがとうございました。
(石川 廣美)

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2014年03月14日

民映研主催の映画鑑賞会に行ってきました。

1976年に設立された民族文化映像研究所(略称民映研)は、「日本人の生活と生活文化の足どりをその基層から見直し捉えなおしつつ、それを映画フィルムによって記録する」(民映研HPより)活動をこれまでされてきています。

東京民藝協会のブログでも藤田さんが以前紹介されていましたが、先月この民映研主催の上映会に参加しました。

今回見た作品は「小川和紙」(1992年製作)と「竹縄のさと」(1978年製作)。いずれも秩父の手仕事として伝承され、小川和紙は現在も作られています。

この2作品のうち、とくに興味深かったのは「竹縄のさと」。竹縄が製作されていた地域は、水が豊富でなかったので和紙の製造ができませんでした。そのために竹縄を作り収入を得ていました。昭和10年代まで軍事利用されるなど、需要もあり盛んに作られたそうです。

竹縄は、水に強く丈夫。現在も伊勢神宮の遷宮の際にも使用されているとのこと。ですが、代替の安価なものが輸入されてくると一気に衰退し、この映像を撮影した年(1978年)には、まだ製作できる方に再現してもらって撮影されました。

実際の製作方法等は、映像をご覧になることをおすすめします(定期的に上映会が開催されています)。伝承の知恵が随所に見られ、感心させられることばかりでした。

上映会等の情報など、民映研HPを参照ください(http://www31.ocn.ne.jp/~minneiken

映像終了後には、当時の撮影に携わった方を中心にフリートークが行われ、参加者の感想なども興味深いものがありました。民映研の映像資料はとても貴重なものなので、それが現代社会により有効に活用されるべきだと思いました。

(村上)

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2014年02月06日

平成26年新春懇親会

2月1日(土)の午後、京橋の「美々卯」で 新年会を行った。参加者は42名、本部から保坂事務長、村上さん、鈴木さん、また民藝館から石丸さんがご参加くださった。

「美々卯」はしばらくぶりである。去年は見学会を併せるのもいいかと駒込の東洋文庫の中のレストランでやったが、駅から遠いとのご意見もあり、いろいろ探してみたものの適当なところがなかった。インターネットを渉猟(ちょっと大げさだが)したり、志賀会長と東京駅構内を探し回ったり、近辺の沖縄料理屋に行ってみたりしたが、適当なところが見つからない。また、新宿の樓外樓飯店に戻ろうかなどと話し合っていたら、戸田さんから「美々卯」の名前が出てきた。結果は、割に評判が良かったようで、やれやれである。
うどんすきが名物の麺類屋さんで、うどんすきとは何者か知らなかったのだが、やや豪華な煮込みうどんである。といっても煮込みうどん、鍋焼きうどんとは具や出汁がちょっと違わないでもないが、どうだろう。サービス料、飲み物を入れて6000円であったが、こんなものか。皆さんアルコールを召し上がらないのでこのくらいである。ビールが中瓶で15本くらい、日本酒が2号徳利で5本くらいであった。そのうち、多分わたしがビール、日本酒を各1本いただいている。

会長、副会長の挨拶、乾杯、新しい方、遠方の方などの自己紹介、保坂事務長ほかの挨拶、福引と型どおりやって、無事終了した。
福引の景品は、志賀会長、佐藤副会長、たくみ、備後屋、べにや民芸店、大場順子さんが出して下さった。いつもありがとうございます。
司会は例年のように私藤田が務めたが、マンネリであるからどなたか代わっていただきたい、そうすれば酒をもう少し飲める。-----と、毎回書いているのだが。

さて、来年の会場について、心当たりがあればぜひ教えて下さい。@駅から近くて、A50名くらいまでの椅子席の会場、B会費が6000円前後(7000円くらいでもいいかしれない)です。
(事務取扱 藤田)

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2014年01月10日

12月例会 民藝館展の見学

12月15日の日曜日、民芸館店の見学を行った。参加者は期待したほどでなくて13人だった。もう少し参加していただきたいのだが。
さて館展のことである。数年前、有力な(代理)出品者が急に出品しなくなり展示数がかなり減ったことがあった。特に、編組品、沖縄、小鹿田などが目に見えて少なくなっていて、その年は仕方ないとしても、来年からどうなるかと心配したものである。しかし、展示数は徐々に回復して、今年は上の編組品ほかも出揃って盛況であった。

世は民藝ブームといっていいくらいで、人々が柳宗悦や民芸や民芸品に対して目に見えて関心を寄せているような感じがする。といっても、実際に民芸品をまとめて見られる場所や機会はそう多くない。この館展はその質量において第一の場所ではないだろうか。ことに全国各地の編組品がこれほどまとまって見られるところはないだろう。今年も、熊本の菊池さんやたくみが多数を出品していて感謝しつつ拝見した。実にたいしたものである。

見学してまだ半月だが、個々の品物については大方忘れてしまったので書く事ができない。
昼飯は西館でいただいた。
解説をして下さった杉山学芸部長、お世話下さった戸田さんに感謝します。
(藤田)

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2013年12月03日

11月例会:群馬県安中教会と松井田町碓氷製糸、五料茶屋本陣の見学

11月19日(火)バス旅行についていった。このところの遠出の例会の参加者は中型バスを満員にするのがやっとで、今回も民藝館友の会の方々を合わせて26人であった。
目的地は、群馬県の安中市、松井田町方面で、安中教会、松井田町碓氷製糸、五料の茶屋本陣を巡った。

以下簡単に紹介。安中教会は、1919年建築、群馬県で最初のキリスト教会、日本人の手による日本最初の教会堂とのことで、大谷石の組積造である。柏木義円という方が長いこと牧師をしておられた。中央に出ることがなかったので内村鑑三ほど知られていないが、実はその非戦論はより徹底したものであって、ある思想史家は次のように書いている。
「少なくとも非戦論や平和主義に関して、柏木は内村よりも優れた存在であった」(笠原芳光)。そして、この教会と柏木を支えたのが、民藝とも縁の深い故湯浅八郎氏の父、治郎であった。
昨今はNHKの大河ドラマ「八重の桜」ブームで、新島襄ゆかりの教会とあって見学希望者が多いそうだが、ただの見物はお断りとか。牧師はとても話がうまかった(当たり前かな)。善如寺さん曰く、30分の約束だったのに1時間も話して下さった、きっとみんなが熱心に聞いたからよ。


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碓氷製糸は、いまや日本に二つしか残っていない生糸の製糸工場の一つである。もう一つは山形にあるそう。養蚕農家が減って、全国に5、600件だったか残るのみ、従って製糸も不要になってきたのである。ここでも全部の機械を一年中動かすだけの生糸が集まってこないとのこと。動いているいろんな機械、ほぼ自動的に繭から糸を取り出す仕掛けになっている。働いている女性たちの仕事は、お湯に浮く繭玉の個数が減ると糸が細くなるので、見張って繭玉を追加することである。糸が細いうえ手早いので素人目には何をしているか分からないが。
売店では、製糸した糸を使った色々な製品、下着やソックス、アカスリなんかを売っていて、絹アカスリは楽天で一番の売れ行きですよ、具合がいいですよ、とのことであった。


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五料の茶屋本陣は中山道を行き来する大名、公家が休息する施設で、名主屋敷も兼ねた。東京から行くと、松井田宿、五料、碓氷峠、坂本宿となる。珍しいことにおおきな建物が左右に2軒が並んでいる。それで土地の人は「お西」「お東」と呼んでいるそうで、「お」が付いているところが並でない。
この例会をお世話下さった大島さんの父上は、実はこの茶屋本陣がご生家とのこと、本家の方が接待をして下さった。漬けて間もないであろう沢庵がなぜかとてもおいしかった。そのうえ全員におおおきな柚をたくさん下さり、恐縮至極であった。

昼飯は、横川の釜飯、名物にもうまいもの有りである。

大島さん、そして地元の善如寺さんが終始面倒を見て下さいました。ありがとうございました。

(藤田)

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2013年12月01日

「芹沢_介と民藝」を聴講して

講演会「芹沢_介と民藝」を聴講して   
 講師 杉山享司(日本民藝館学芸部長)
  於 JAM女子美アートミュージアム


 女子美術大学(相模原キャンパス)の女子美術大学美術館で、収蔵作品展「四季をめぐる」(12月15日まで)が開催中で、その関連イベントとして、11月13日に杉山氏の講演が行われた。
「なつかしさを感じさせるけど古さを感じさせない」芹沢_介の作品を言い当てるひとつの言葉だと思う。「型」というと動かない型にはまったイメージだが芹沢の作品はそうではない。なぜだろうと思っていたが、講演を聞いて納得した。芹沢が生み出した図案・型彫り・染めまでを一貫して行う「型絵染」という技法の中でこそできること<制作しながら変えていく、絵を描くように型を染めていくという柔軟さ>が、これほどまでに魅力ある作品になるのではないか・・・と。
 展示されている1946年から1984年のカレンダーとグリーティングカード34点に圧倒されたが、柳が芹沢を評した「模様を生み、こなし、活かし切り、また派手でありながらも俗に落ちない色を生み出した。」という言葉どおり、一点一点のデザイン、色彩は素晴らしいものだった。(日本航空の赤い鶴のマークは彼のデザインと聞き驚く。)

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 今回の講演では、「芹沢_介」の他に、「柳宗悦と民藝」そして「女子美の工芸科と民藝の関わり」について話された。
 女子美の織では柳悦孝、染では芹沢_介、柚木沙弥郎、四本貴資などが指導を担当。柳自身も心理学を教え、民藝協会の村岡景夫は哲学を教え、柳宗理も工芸理論や工芸史を教えていた。そのうえ、日本民藝館との深い繋がりを伺い、私の住む地域にある女子美が民藝とこれほどの関わりがあったことに驚くばかりであった。
 聴講していた学生達を含め、女子美生の民藝に対する興味が広がることを願う。
(石川 廣美)

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