2013年04月22日

広島県民藝協会の例会に参加して---安孫子散策と白樺カレー

3月3日、広島協会の皆様と、私の住まいの近所で好きな場所、安孫子をご一緒できたので、ありがたくうれしいことでした。安孫子は、上野から常磐快速で約30分、昔の面影が残る懐かしいところ、なかでも白樺文学館付近は、大正ロマンの香が残るといってもいいようなところです。

安孫子駅改札で、文学館の竹下さんが出迎えて下さり、ずーとガイドしていただきました。駅前からのバスで5、6分、手賀沼へそぞろ歩き、ゆかりの文人、志賀直哉、柳宗悦、武者小路実篤らの文学活動の場を経てバーナードリーチの碑まで。

それから、安孫子市立白樺文学館へ。ここは佐野力という実業家が私財を投じて建設したもので、コレクションとともに平成21年市に寄贈されたのだそうです。白樺派作家の原稿、書画、また民藝関係の資料、運動にかかわった人々の作品を展示しています。ロダンの彫刻からリーチの弟子ルゥシィ・リーの作品まで、コンパクトにわかりやすく展示されています。地階では、柳兼子さんのCDをゆっくり拝聴できました。

その後、向かいにある志賀直哉邸跡へ。いまは公園になっており、約900坪あるそうです。竹下さんのお話では、公園から見上げる高台600坪も、少し離れた武者小路が住んだ場所も当時は志賀家の所有だったそうです。少し道を戻りいくらかきつい素敵な段々を上ると「三樹荘」跡、柳夫妻が住んだ天神山があります。浅川伯教が例の朝鮮白磁を持参したところであり、柳はここに住んだ7年間に朝鮮に3回出かけています。今は俳人の住居になっていて公開されていませんが、外から由来の3大木を確認、リーチの窯跡はあの辺にかと思いを巡らせて。向かいは柳の叔父、加納治五郎の別荘だったところ、手賀沼を見下ろす庭で記念写真を撮りました。

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昼食は、駅前のカフェレストラン「ランコルトン」で柳兼子さんのカレーを再現した「白樺派のカレー」を賞味しました。兼子は、リーチの勧めで隠し味の味噌入りカレーを宗悦や客にふるまっていたのです。予約必要のたいそうなカレーの理由を女主人に聞いてみたところ、注文を受けてからルーを作るのに1週間かかる、小麦粉を使わず野菜だけで1週間とろとろと火を入れて熟成させ、契約農家の味噌で仕上げるそうです。思い起こせば、私の母もルーからカレーを作っていました。コーヒーをプラスして千円でおつりがきます。それからレトルトの「白樺派のカレー」は文学館ほかで売られているようです。

安孫子は、1昨年の地震で被害があって、尋ねるたびに整備されかわっていますが、当時の面影の残る町であり続けてほしいものです。
(内山昭子)

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2013年04月15日

土人形、凧そして和室には源氏絵が----- ――尾久彰三氏のコレクション展

3月30日(土)、相模原市の「小原の郷」(甲州街道旧小原宿にある観光施設。緑区小原)で行われた「第3回 古民藝品の展示説明会」。尾久彰三氏が所蔵の品についてご自身で説明して下さるというので、どんなお話が聞けるか、桜満開の中、楽しみに参加しました。
 
人形は花巻、三春、相良、堤などが展示されていて、花巻人形は底に紙が張ってあるので振るとカラカラ音がすること、東北で作られたのは土人形が一般的だが、三春だけは張子であるなど、ひとつひとつの人形についてお話をして下さいました。
中でも私が心ひかれたのは、「厠神(かわやがみ)」という、宮城県の堤人形です。文字通り厠の神様で、昔トイレは暗く子供にとっては怖いところでしたが、怖くないよ、お人形さんに会っておいでと声をかけたという当時の様子、子に対する家族の思いが感じられました。
ほかにも、舌がある貴重な埴輪などもみることができました。

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凧は津軽、能代、南部、壱岐などのものが表装されて飾られ、凧の歴史や語源(鳳凰のはためく布)など興味のわくお話ばかり。凧の絵の横に芹沢_介の下絵が飾られ、会場になんともいい雰囲気を醸し出しています。

奥の和室には源氏絵の屏風一双、草花の絵、お雛様、道祖神などが置かれ、会場全体が節句にふさわしいものになっていましたので、尾久氏が言われた「展示は一点一点が美しいこと、統一がとれているということが大事」を実感することができました。

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また、「もの」は感じる道具として見てほしい、自分がいいなと感じる気持ちを大切にしてほしいと話され、尾久氏の民藝に対する思いが伝わってきて、私にとって心安らぐひとときでした。
尾久さん、ありがとうございました。4回目はいつでしょうか、楽しみにしています。
(石川 廣美)

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2013年04月04日

「白き」を訪ねて「今日、用」(キョウヨウ≒教養)のある有難さ、を知ったのは誰? −東京民芸協3月例会に参加して− (2013/3/27)

 早咲きの桜は散る気配、花冷えなど通り越して寒の戻りを感じさせる宵。私にとって入会以来念願の初参加でした。案内の葉書に見つけた「骨董珍道中inソウル」の文字、それはもう私のための開催かもと思えるほどタイムリーなお題目でした。と、申しますのも私事ですが最近になって老親の様子を看に実家へと帰る機会が増えつつあり、おさんどんに励む日々。しかし、娘の心配などどこ吹く風、老夫婦は仲睦まじく終日、「韓ドラ」(韓国ドラマ)に泣き笑い。何ゆえに我が老親は韓国ドラマに夢中になっているのだろうか?
 そんな折に届いた葉書。この会に参加すれば何がしらか韓国についての雰囲気や文化を垣間見ることができるはず、といった漠とした期待を抱えての参加でした。
 今回の構成は放送された3部を尾久先生の解説を交えながら拝見というかたちでした。


 「第1回 白磁の聖地へ」踏十里、仁寺洞の骨董街
 まさに「白磁」尽くしの展開。白磁が生み出された背景を知れば如何に白磁が韓国の人々にとってある種ステータスを意味し、敬われ尊ばれてきたかが納得です。韓国究極の白磁といわれる一品と日本における究極の一品の対峙。似て非なる価値観の違いしかりで、これまた納得。タルハンマリ(満月壷)にいたっては「完全な丸でない丸」、つまり手仕事が生み出す「おおらかな美」が悠然と輝いていました。
一見 冷たく人を寄せ付けないほどの高貴な輝きを放つ白磁が、実は高級官僚たちの激務の目を和ませる役割もあったとの説にいたく感心。美しいものを愛で、触れて、人は何かを得るのかもしれません。日常の美、民芸があるように。


 「第2回 韓国女性の伝統美」チマチョゴリ
 この回はまさに希林さんの「時間ですよ〜〜〜」でした。(もはやこの番組タイトルをご存知ないような若い女性の参加が今回は多かった。とは、ある参加の紳士談) 
余談ですがこの鑑賞会中、尾久先生が共演者の希林さんについても時折そのひととなりについて触れられました。TVでもご自身が「全身癌」宣言をされているだけに「人間の生死」や「信仰心」などその独特の雰囲気、演技、女優魂がどこからくるのかについても考えさせられるお話が伺えました。放送された表舞台からだけでは凡そ知ることのできない貴重なエピソードの数々でした。
その希林さんのチマチョゴリ姿といい、尾久先生の民族衣装姿といい、実にお二人ともさまになっていました。「美人」の基準はところ変われば…ですが、女性を美しくみせるためにチョゴリは短くギュッと、チマはふんわりと見えるように工夫がなされています。
 この回の圧巻はなんといってもその「白いチマチョゴリ」で披露されたサルプリという民族舞踊でした。女性の捨てきれぬ「恨」(ハン)を舞ったものだそうです。
先の白川静出典(2013/2/22ブログ:アイラブミ(巳)コメントより)ではないけれど、「恨」という字をみればなんとなく暗い、陰湿な印象が否めません。人間の持つ「業」にも近いものでしょうか。けれどこの舞踊家の女性は決して否定的な意味だけではないことを希林さんに説きます。「悲しみや喜びがないまぜになったもの」。希林さんが舞踊家に『私にも「恨」があればもっと違う女優になっていただろう』的なことをこぼすと、すかさず舞踊家が返します。「希林さんと会って人生の年輪みたいなものも「恨」ではないかと思った」と。
 実に言いえて妙です。経験を積んだもの、人生という舞台を生き抜いてきたもの同志がまさに心で対話した場面と感じました。


 「第3回 暮らしまるごと骨董三昧」世界遺産 安東郡河回村の両班文化
 王朝時代から連綿と続く「両班」(ヤンバン)としての誇りと文化を守るための禁欲生活、自給自足を貫く一族の生き方。いったい誰のために何のために…。
一族の長と尾久先生の対話がすべてを語っていたように思われます、すべては村人の安寧と文化を守るため…。ある参加者の方が尾久先生に質問をされたのですが、この文化継承のために政府の後ろ盾や補償があるわけではないらしいとのことでした。
 「心を正しく保つ」「他人を敬う」ことを常とする生き方。「両班」が身につける「白」の衣装はその清らかなこころを求めることを現しているのだとか…。その一方で今では韓流スターのヨン様もお泊りになるという民宿を兼ねたその歴史ある家屋は、壊れることや傷むことを前提に建てられ、「おおらかな美」が随所にありました。柱にかかげられた「両班」のお面は、どんなに偉くなってもいばることなく、平民の風刺さえ笑い飛ばせる「おおらかな心」の象徴ということのようでした。
 何と言葉にすれば足りるのでしょう。百年余という時間を経てもゆるがない伝承の日々、その大変さ。そんな暮らしの中で、私だったら果たして「おおらかに笑える」だろうか…。


 こうしてあっという間に番組は終了。なんともいえないほっこりとした気持ちに満たされました。この番組は、韓国の方々の「白」に対する造詣が通奏低音として響いており、また尾久先生と希林さんによる絶妙な間合い、語り、雰囲気によって実に味わい深く仕上がっていると感じました。やはり人生の年輪が生み出す力なのでしょうか…?
 ところで、私が表題にあげました「今日、用」のあることの有難さ…を常々感じている方はいらっしゃいますか? これも尾久先生からの受売りで、初参加の私が言うのも憚られますが、是非次回はこの例会を「今日の用」にご参加いかがでしょうか。キョウヨウ≒教養が身につくこと請け合いです(笑)。
 そして私はといえば、今度実家に帰ったら早速両親と「韓ドラ」談義で盛り上がってみよう、そしていつか自分で「白き」を訪ねてみよう…そう思いを新たにしての帰途とあいなりました。
 下手の長文、ご容赦のほど。このような機会を本当にありがとうございました。
(松村 紀)

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2013年03月14日

日本民藝館「新館長と語り合う会」

ちょっと時間がたってしまって恐縮だが、1月19日(土)の夕方、深澤 直人 日本民藝館新館長のお話があった。民藝協会、友の会会員などを対象とした懇談会で、まだなじみの少ない館長を紹介して下さった訳である。民藝館の杉山さんが仰るには、一般の人に呼び掛けたら多く集まりすぎて収拾がつかないから対象を限った、とのことであった。
氏はそれほど人気があって、輝かしい実績と経歴をお持ちのプロダクトデザイナーである。インターネット上を検索すると情報量が多くて見切れないほどだ。一般には無印良品のデザイナーとして知られていて、壁掛けCDプレーヤーなんかを世に送り出した。さらにいまはアドバイザリー・ボードという肩書らしく、たぶん無印良品全体のデザインの方向を決めるえらいひとであり、かつFound MUJIの商品選定人ということである。(話がそれるが、Found MUJIってすごいです)ほかにも大学教授やら何とか会のメンバーやらいろいろな役職についておられる方である。

いかにもデザイナーらしく、ご自分の考え方、これまでの作品などを、整理された説明画像(プレゼンテーション画像っていうのか)で紹介して下さった。英文併記、かたまった小さな文字群で、-----これもやはりデザイナーらしいというべきか、英語が解らずかつ目の悪い私には読み切れなかったが。

説明の中で、ご自分の基本的な考え方について、「美は関係性のなかにある、その関係性を発見するのがデザインである」というようなことを、ジグゾーパズルの全体とそのなかの1ピースとを喩にうまく説明して下さった。ひとつのピースは周囲のやはりピース群の輪郭と合致しなければ当てはまらないし、逆にそのピースを欠けばパズルは未完のままである。つまりひとつのデザインはその周囲の環境にうまく当てはまらなければならいないし、うまくあてはまることで逆に環境を組み替える、新しい環境を形作るのである。
例えば、------わかりやすく紹介するため簡単な例をあげるのだが、あたりまえの丸い柄がついたコウモリ傘がある。この柄の外側に小さなくぼみをつけた。このくぼみはスーパーの袋を掛けるためのものだそうで、このくぼみ一つがコウモリ傘とビニール袋の間に新しい関係を生んだ。また、ひとは丸太みたいなものを見ると腰かけたくなるものだと考えて、中空の丸太状の椅子シリーズをデザインした。この中空丸太、かなり高価らしいが、ともかく丸太とひと、そして椅子とがこれまでと違う新しい関係を結んだ、ということになる。

ここにみられるように氏のデザイン手法は、単に形をいじって新奇なものを作るということではなさそうだ。デザインの対象に求められる機能、役割を、その周りのものや人との関係のなかで見直して、それを素直に表現する、結果としてこれまでにない新しい形を生みだすのである。見過ごしてしまうような、あるいは隠れていて見ることができない人の動作や感情の一部の様を、ものの形にして開示してくれるというような言い方もできるだろう。コウモリ傘の柄のくぼみも、丸太椅子も、できてしまったものをみるときはコロンブスの卵みたいなものかもしれない。しかしその素直率直な表現に接したひとは新鮮な驚きと喜びを感受し、ある場合には人間について、自分について、なにか予期せぬ示唆のようなものを受けることさえあるのではないか。上質なデザインというものはおよそそういうものであり、氏がたずさわっている無印良品の「無印」という言葉が指し示す精神がそのようなものであり、民藝の精神ともそう隔たってはいないのではないか。

------というようなことを、氏の仕事を拝見して感じたのではあるが、しかし、民藝館の館長の仕事は、その延長上にあるのだろうか、ないのだろうか。あるとも言えるしないとも言えるし、よくわからないのだが、民藝とデザインのコラボとか何とかというような考えやすい事業を起こすことより、やっていただきたいのは違うことである。
館長はお話の冒頭、館長就任に際して館の職員から「デザインの展覧会はやらないでくれと言われた」「わたしがどのようにみられているか、心配されているか承知しているつもりだ」というようなことを仰った。
数十年以内に大地震があるといわれている。福島原発の成り行きによっては、東京にも人が住めなくなるのだが、そんなときは致し方ないとして、せめて大地震に襲われたときに持ちこたえられるように民藝館を守っていただきたい、民藝館がこの先ずっと存続していけるように尽力していただきたい。これが一傍観者の遠慮がちな希望である。人が住めなくなったあまりにも美しい福島の映像を見るにつけ、こんなことを思う昨今である。

(藤田)

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2013年03月04日

佐藤阡朗さんの講義について

昨年5月から今年1月までの7回にわたって、東京民藝協会主催の「漆ができるまで」という講義が行われました。
講師は漆作家の佐藤阡朗さん、時に、漆刷毛師の九世・泉清吉さん、木地師の工房千樹の佐竹康宏さん、漆作家の角井圭子さんも加わって、豪華で贅沢な時間を過ごさせていただきました。
内容は、漆掻き、漆の精製、刷毛などの道具類、下地粉などの漆以外の材料、木地、下地塗、中塗り、上塗り、螺鈿・蒔絵などの加飾・・・・要するに、漆にまつわるすべてをその道の第一人者が、微に入り細に入り、現物を手に取らせながら間近で語って下さるというディープなディープな体験でした。
聴講生は老若男女20〜40人、プロアマ混交、手仕事好きのマニアックな面々で、毎回熱気にあふれた会でした。
個人的には4回しか出られず残念でした。そして、全部動画に撮って永久保存しておくべきでした。思いつくのが遅かったです(泣)

1〜5回の詳しい内容は、この東京民藝協会のブログのバックナンバーにもある、ずぼんぼさんのすばらしいブログを是非どうぞご覧下さい!

私の印象に残っていいる、ディープなディープなお話の一例です。


・桶に入った(漉しただけの)生漆の蓋紙を外した時の粘り、乾き具合、におい、沈殿物の量を見、さらにへらですくって落ちる様子を見て、その漆の性格を見極めて、どう加工し、どの季節に、何に使うか(何に適してるか)を決める。

・筆に使う髪の毛は、海水や日光で油の抜けた海女さんの、しかも染めたことのない40代の真っ直ぐな髪が良い。

・蒔絵用の筆は、琵琶湖の蘆の間に住むネズミの背中の毛が、先端がすり減っていないので透けて見えるほど細くて良い。


ディープで痺れます。

また、実演を近くで拝見しました。


・佐藤阡朗さんが、左手でお椀の高台を持ちお椀を回しながら、糊漆をつけた麻上布をへらでお椀の縁に着せていく作業を、また、縁を外から、内から、角を出さないように塗っていく作業を、エアで(空手で)なさるたびに、あまりの鮮やかさに感嘆の声が上がるとともに、そこにいた全員に、そこに確かにお椀と漆が見えていました。

・角井圭子さんが、螺鈿や金箔を道具とともに持参してくださり、実演し、また、漆板に金箔を張その上に漆を塗ったサンプルも作り、受講者に実際に漆を削らせてくださりもしました。



私は銀座たくみの社員です。いつも佐藤阡朗さんの漆器を取扱い、自宅でも使って愛しています。
今回、漆器ができるまでの気の遠くなるようなお話を聞いて、縄文の昔から人が自然と格闘し、あるいは話し合い、複雑な試行錯誤の末にたどり着いた最高の美しさを日常で使うことの豊かさに、あらためて毎日うっとりしています。

銀座たくみでも、常時阡朗さんの漆器を扱っております。
また、展示会をすることもあると思いますので、その時はこちらのブログでもお知らせいたします。
ぜひ一度見にいらしてくださいませ。

(たくみ 豊岡浩美)

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2013年02月22日

アイ ラブ ミ(巳)

 今年は癸巳で干支は60年振り、十二支では十二年振りの巳である。日本民藝館では皆様がご存じの「巳・蛇」に関する民芸品が所蔵されている。
 巳(蛇)は現代人は見るからに「気持ちが悪い」の一言で片付けますが古代から日・中・韓・欧米でどのように考えられていたかを要点のみを先ずは紹介したい。合わせて、趣味の自作の切り絵の写真を紹介します。

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中国の蛇

 象形文字の巳は胎児の形、並びに草木の種が発芽時、次の姓名に生まれ始める形から巳の字を当てて、物事の起こる、始まる基点、或いは、成長が目標に達し止むとされ尊ばれています。後に、漢字は動物の蛇が当てられた。

韓国の蛇

 「三国遣事」は古朝鮮の史書で一五一二年李朝中宗七年に李継福が再刊したものが現存し、其の中で国名新羅の始祖赫居世王が統治され、六十一年後に王が崩御され、七日後に遺体が地上に落下し、王妃も亡くなり合葬しようとしたが大きな蛇が出てきて体を五つに分けたので人々は五つの陵に分けて葬り、そこで敢えて大きな出来事が起こることを意味し虵(だ)(蛇の俗字)陵(りょう)というそうです。
 また、済州島では蛇は福の神で日本同様に蛇皮の財布にお金を入れると金持ちになる等といわれている。

欧米の蛇

 蛇はギリシャ神話では生命力の象徴とされ、蛇が杖に撒きつく図柄には「アクレピオスの杖」が知られている。アクレピオスはケンタロウス(半人半馬)から薬草の効き目や病気を治す呪文を教わった。そこで、アクレピオスの杖は、医療・医学の象徴として世界保健機関のシンボルマークになっている。

民藝館の蛇 (2)-2.jpg

 海外旅行をすると多くの薬局の看板並びに救急車の車体にこのマークが描かれている。日本でも一橋大学、防衛医科大学の校章には蛇に杖に撒きつく図柄が採用され蛇は英知をあらわし、常に蛇のように聡く世界の動きに敏感で医療・医学の象徴であることを意味し、多くの高校でも採用されています。

日本の蛇
 神話の世界では、鏡は蛇の金色に輝く眼の模擬と看做され至高の宝にまで高められている。三種の神器の内、天叢雲剣は大蛇の尾から得られたという。頭部の中で最も神聖なものは「眼」である。天照大神は伊耶那岐命の左目から生まれたとされる。蛇の眼を象徴する呪物は剣同様に中国・朝鮮渡来の鏡に勝るものはなかった。銅鏡は円形で光輝き、その背面は二重に縁取られ、蛇の目形をしている。魏志の東夷伝に卑弥呼への贈物に銅鏡百枚の記述がある。他国への記述に歯このような贈物は無く日本の古墳から多数の銅鏡が出土し、倭人の異常な鏡に対する執着が伺える。また、正月の鏡餅は上面から見ると蛇のトグロを巻いた姿である。
 従って、古代信仰は蛇信仰といっても過言ではない。

日本民藝館蔵の蛇に纏わる作品

 現在、民藝館では特別展「日本の漆」の展示が行われている。第四室には「東アジアの木漆工芸」と題して朝鮮・中国などの作品が展示されている。併し、素晴らしい漆と螺鈿の作品に気を奪われてその図柄にまで身を寄せる人は少ない。
 展示の一例を紹介します。

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祈祷箱

 これは台湾パイワン族の製作した木彫貝蛇文人物文の祈祷箱である。左右に人物の祈祷師がいて六匹の蛇が中央の螺鈿を取囲んでいる。

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ナイフ

 同様に小刀に蛇文がつけられている。紙数で省略するがまた、シャーマン用双耳赤塗酒杯などにも蛇文である。
 柳宗悦が民藝の中の図柄に多くの蛇文を選択し美を見出されたかは浅学の筆者には知るよしもない。
 併し、中国紀元前の書物古典「淮南子」には「蛇無足而行、魚無耳而聴、蝉無口而鳴」など自然哲学の摂理が語られている。
 祈祷、シャーマンとは別にしても朱漆と螺鈿が相俟って素晴らしいサクヒンンであることには間違いがない。
 今年は巳年。世界の蛇を見直し、民芸の中の多くの十二支並びに他の動物の探究をされては如何でしょうか。
(会員 田部隆幸)
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2012年12月13日

べにやさんの正月飾り

12月8日に、べにやさんで、ガラスの石川さんのお話の会があって、行ってきました。
入口の壁一面に正月飾りが飾ってあり、写真を撮らせてもらいました。


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去年暮に大島さんがこのブログに紹介して下さった「笑門」もあって、黒い筆文字のせいか目を引きます。大島さんは一年中飾っているとのこと、実は私の家の近くの居酒屋でも一年中飾っているので、その写真を撮ってきました。

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石川さんが、ガラスという素材の美しさを素直に出したい、というようなことをおっしゃってましたが、この正月飾りこそ、稲わらの、特に「みご」のつやつやした美しさ、それを縒って縄にした美しさをよく表したものと言えるでしょう。
ビニーテープをしみじみ見ることはありませんが、稲わらの縄をしみじみ見ると、美しいものです。最近見かける、イグサみたいのに着色したようなのはどうもいけません。 (藤田)

          
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2012年10月20日

石川廣美さんによる夏期学校レポート

◎民藝夏期学校 松本会場 8月31日〜9月2日

松本駅に着くと、地元出身の「草間彌生展」のポスターが目に入る。松本の夏期学校に参加できるだけで満足なのに、彌生展が観られるとは----。彌生展を観たあと、幸先の良いスタートに喜びながら、夏期学校の会場であるあがたの森文化会館に向かう。この趣のある白くて古い建物は旧制松本高校とのこと、いい学び舎だ。
いよいよ学校が始まる。松本芸術館監督である串田和美氏は、形に残らない消えていく舞台に関わる自分の原風景などについて話される。
外村民彦氏は、「民藝美の出発点」という講演で、氏が作成された「柳宗悦・民藝草創期年譜」を踏まえながら、美について語られた。出発点でいわれていたことは現代に問われていることではないか----と。
尾久彰三氏は「浅川兄弟と柳宗悦」の題で話をされ、「韓国人になりたかった日本人」という以前放映されたテレビ番組を中心に講義をされた。
2日目は午前中、松本ホテル花月の会場で2人のおはなしを聞く。はじめは、長野県民藝協会長である降旗廣信氏の「民藝と建築」、日本の風土、文化とかかわる民家、だれが住んでも住みやすい、住んでいくほど美しさを増していく住居のお話であった。
つぎに松本民藝家具の池田満雄氏の「木霊(こだま)」。木に関わる仕事を通しての思いや、木にまつわる不思議な話、柳宗悦をはじめ、出会った人たちの話などを熱く語られる。
午後は中町の蔵シック館で行われている「三代澤本寿の仕事展」で説明を聞いた後、民藝協会の方々が展示された作品を観ることができた。
その後の松本民藝館では、特別展「丸山太郎と民藝の巨匠たち」が開催されていたので、解説を受け、そして集められた品々に接する。
レストラン鯛萬では、池田三四郎が建築に関わったことなどの説明を受け、見学した。素敵なレストランで、葡萄ジュースが美味しかった。
3日目は奈良井宿へ。木曽漆器館では、工藝マエストロの宮原健一氏や佐藤阡朗氏の解説をうけながら、木曽漆器の歴史や特徴などを学ぶ。
その後、奈良井地区公民館で佐藤氏の「漆工と工芸 歴史と展望」の講義を受ける。『工藝の道』に触れ、氏の漆工に対する熱い思いが心に響く。
いよいよ閉校式、長野県民藝協会の皆さま本当にお世話になりました。準備そして当日とさぞ大変なことだったと思います。ありがとうございました。
閉校後の昼食は、王滝村の方々の手作りの「ひだみ弁当」、それはそれは美味しくいただきました。
松本の街並み、建物、落ち着いた雰囲気、湧き水、お店、そして出会った人々-----松本と奈良井宿は心に強く残る場所になりました。 
(石川 廣美)


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