2020年03月13日

苫小牧「第一洋食店」と苫小牧市美術博物館の展示

 会員の夏目勝子さんから本----写真の『第一洋食店の100年と苫小牧』を見せていただいた。苫小牧にある「第一洋食店」というお店が去年2019年に創業100年を迎え、苫小牧市美術博物館がそれに関連した展覧会を催した(19年7月〜9月)。その図録である。

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 第一洋食店の創業は1919年(大正8年)で、そのころ洋食なるものを食べられる階層は限られていただろうし、さらに地の果て?北海道にあって、札幌ならまだしも苫小牧において客がいたのかという疑問が湧く。が、苫小牧といえば王子製紙------そう中学の社会科で習った。王子製紙の創業が1910年だそうで、多分そこに少なからぬ数の上中級サラリーマンが出現していた。第一洋食店は彼らの食堂であり社交の場だったのではないか。
 図録によれば、創業者の山下十治郎という人は、山梨県生まれで、横浜にでて本格的な洋食を学び、のち札幌の豊平館や苫小牧の王子倶楽部(王子製紙の迎賓館)に勤めた。その間大正天皇の行幸にも随伴したと言われる。新開地の北海道にあって内地からの移住者で成功した人の一典型であろう。

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 2代目の店主が芸術、美術に広い関心があって、店は文化サロンの趣を呈したという。民藝とも縁が深く、店主は民藝協会の会員であった。店の調度、什器などは民藝の関係のものをそろえ、椅子、テーブル等は松本や北海道の民藝家具であった。店自体も一時、伊東安兵衛の設計で改装している。本の写真を拝見すると重厚なしつらえが伺われる(敷居が高そう)。民藝のエライ方々、浜田や芹沢などとも付き合いがあり、とくに白老に疎開していた川上澄生と親しくしていて、その作品を多数ご所蔵である。夏目さんはその2代目店主のお子さん、現当主と姉弟とのことである。

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 さて、公立の博物館が民間の1店舗を主題にした展示をするという事は異例なことではないか。推測するに、この洋食店が苫小牧の否北海道の洋食の歴史に大きな位置を占めている。そればかりでなくその存在が苫小牧の文化に少なからぬ影響を及ぼしてきた。さらに什器、コレクションなどに見るべきものがある、というような条件が整っているからこその展覧会であったと思われる。
 図録の冒頭、美術博物館の展示の意図がこう説明されている。〈店の歴史は王子製紙株式会社苫小牧工場創業によって飛躍した苫小牧の近代化と歩みを共にしており、その歴史を紐解くと、(中略)苫小牧100年の物語が見えてきます〉〈同店が担ってきた苫小牧の文化装置としてのあり様を検証し、町と人、そしてそこに生まれた文化を紹介します〉
 民藝に引き付けて言うと、その発生、成長期において地方にもこのような有力な支持者がいたからこそ民藝は普及した、という事になるのだろう。
 苫小牧にお立ち寄りの節は、第一洋食店へお立ち寄り下さい。駅近くにあるそうです。
(藤田)


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2020年02月25日

柳 宗悦の思想を追いかけて 〜2019 となみ夏期民藝学校〜

 「美の法門」。柳の晩年期の著作であり、民藝の集大成である。
「精神運動でない民藝運動の存在を許容することが出来ない」
民藝を単なる趣味と捉える内外への牽制である。今回の民藝夏期学校の舞台、富山県砺波や南砺エリアは柳が「美の法門」を書き上げた地でもある。講師の松井先生のご指導の下、よちよちと柳の思想を追いかけていった。
 講義の内容を聞けば聞くほど、民藝の行き着く先が人間形成への道ではなかろうかと思う。民藝の道は禅にも茶道にも果ては数多の道と通じている。この道は宗教と同じである。
「宗教」とは自己と世界の存在根拠と存在理由を全身全霊をあげて明らかにする行為であって、それ以外の事柄ではない。(参照:「民藝夏期学校となみ会場報告」太田浩史 52頁『民藝』2019年3月号 803巻)人生如何に生きるべきか。二度とない人生を歩むために自分を一生かけて磨いていくのである。
 真に美しいモノには「美」も「醜」もない。「美しかろう」「醜かろう」というのはあくまで相対的な見方だ。人の好き嫌いをただ反映させているだけである。真に美しいモノに「自我」はない。つまり、作為性が廃されている。「俺はこれだけのモノが作れるのだ!」と誇示するのでもなく、むやみやたらにデザインが浮き出て実際に使用するのを邪魔したりしない。そう、ただ「存在」しているのだ。主張もせず、ただ寄り添う。まるで守り神のように。

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 禅も茶道も「自我」をなくす。まず、禅、とりわけ臨済禅は公案(問題のもようなもの)を通して自己を磨く宗教である。禅に初めて一歩踏み出す者には等しく初関の公案が授けられる。それは「自我」があると通らない。いや、通れない。今までの人生で蓄積された経験や知識は、無意識に偏った見方になっていく。初関と向き合うだけの段階の場合、始終自我が表れ、邪魔をする。数息観(呼吸に合わせて息を数えていくこと)中、勉強のこと仕事のことその日その日に感じていることが止むことなく出てくる。湧き出るだけに留めるのであれば良いが、湧き出ることをいつまでも深堀するものだから集中しているとは言えない状況だ。「今」を「今」として味わっていないのである。次々と湧き出る自我を淡々と受け止めていけるようになれば、やっと禅という大海原の始まりに漕ぎ出せる。
 茶道も思念の塊で動いていては、話にならない。茶杓から貴重な抹茶が畳にこぼれ、柄杓を建水から落とし、あらぬところに炭を接いでしまう。かといって、無心に無心にといっても間違った方向に行ってしまっては元も子もない。愚直に繰り返し、身体が正しい道を覚えるのを根気よく待たねばならない。「?」「?」のまま続け、いつか分かる日が来る世界だ。
 「妙好人」としての在り方も何だか似ている。浄土真宗ならではの言葉で、信仰に篤く、日常生活までホトケサマがにじみ出ている人である。因幡の源左という方は「ようこそ、ようこそ、さてもさても」とよく言っていたそうな。普通の人なら怒り出しそうな場面でも、である。「自我」があれば様々なレベルの喜怒哀楽が噴出するだろう。「自我」を消すのではなく、そういう自分をどっかと受け止める。「自我」をなくす、という表現は訂正しよう。「自我」と「無我」が混じり合った状態と言えば良いのか。まだ道半ばの自身にとってこれを言い表す適当な言葉をまだ知らない。

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 「美の法門」はモノの宗教の話である。科学がどんなに発達しても宗教の存在意義はなくならない。人生如何に生きるべきか教えてくれる。宗教には必ず拠って立つべき経典がある。歴代の祖師の偉大さは経典を如何に解釈するかにかかる。宗教哲学に造詣の深い柳はモノの美しさを仏典の言葉で表現した。いわば、「美の法門」はモノの宗教の経典でもあるのだ。それが紡がれた場所は今回の会場の一つ、城端別院の善徳寺である。この地は蓮如上人を始めとする浄土真宗の信仰が篤い。ホトケサマの懐にすっぽり収まり、生まれた子を仏様からの授かりものとして大事に育てる風潮がある。五体満足でない場合、生後間もなく間引かれていた風習があった地域とは大違いである。こうした土地の雰囲気のような「土徳」はかの有名な棟方志功の作風をも変えたと聞く。「土徳」は自然に「お育て」に預かる力。土地の恵みを一身に受けること。(この2文は太田さんの言葉。)南砺の土地土地は風光明媚で、遮るような高い建物がない。どこまでも広がる田園風景にホッと一息吐ける。これが砺波の「土徳」。
 また、光徳寺で運営スタッフの方達の手料理ほど心嬉しいおもてなしはなかった。同じく参加した朝田さんの言葉を借りるのであれば「自分自身がその内のひと品となり、土地の中に、土地の人の中に溶け込ませてもらったようでもあり、まさに饗応不尽…」である。(参照:「となみで見たひかり」朝田 淳一 58頁 『民藝』2019年3月号 803巻)10以上のビュッフェスタイル供するには多大な時間と手間がかかったであろう。その心尽くしにただただ感謝し、いただく。手料理一つ一つが民藝の器に盛られている。夜風がふわりと孕み、光と闇が全てを包み込む。心が更にあったまる。「あぁ、幸せだなぁ」幸せの基準は人それぞれであろうけれども「吾唯足るを知る」の一言に尽きる。与えられた環境に感謝することから始まるのでないだろうか?
 民藝も禅も茶道もあれやこれやの道も、人が人として幸せになるための道標なのだろう。心を磨けるのは一世代限り。心を磨く過程を「悟り」「人間形成」「茶禅一味」などと人は呼ぶ。全ての道は精神的な高みに通ずる。相対の世界から絶対の世界へ意識は切り替わっていく。
幸せに寄り添う民藝。有難い夏期学校のひと時であった。
(鈴木華子)
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2020年02月04日

相模原市で尾久彰三さんの展覧会

足を痛めておられた尾久さんが回復され、また展覧会をやっています。
〇開催中〜2月23日(日)  月曜日休館
午前9時30分から午後4時30分まで
〇小原の里 相模原市緑区小原711-2 電話1(プッシュホン)042-684-5858
〇JR相模湖駅より徒歩20分
JR相模湖駅前2番バス停で「桂橋経由三ヶ木行き」バスに乗車、「小原バス停」下車徒歩2分
〇中央自動車道八王子方面より相模湖東出口(下り専用)
中央自動車道大月方面より相模湖I.C
〇2月9日(日) 午後2時から、尾久さんの解説があります
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2020年02月01日

竹村知洋さんの「柳宗悦の民藝思想」

会員の竹村さんが標題の論文をお書きになりました。
竹村さんは当協会の昔からの会員で、この間ずっと少数の若い男性会員の一人でした。
現在、日本大学豊山高等学校にお勤めで(文中の冒頭あたりに、柳が一時期日大で講師をしていたと書かれているのはこの事情による)、この論文はその紀要のために書いたということです。約2万字、400字詰め原稿用紙で50枚という力作です。私がえらそうに言えることではないのですが、要領よくまとまっていて、概論として優秀だと思いました。皆さんに読んでいただきたいと考え、ブログに転載させていただくことにしました。(藤田)


こちら↓をクリックして下さい
柳宗悦の民藝思想(竹村知洋)最新.pdf

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2020年01月23日

『民藝』が2020年1月号よりリニューアルしました。

日本民藝協会『民藝』編集部の村上です。
『民藝』誌は月刊誌として発行を続けておりますが、昨年2019年8月号に800号の記念号を発行することとなりました。私は600号となる直前くらいから関わってきましたので、これまで200号以上の発行を見てきたことになります。過去の号を見返すとさまざまな思い出が蘇ります。

さて『民藝』の創刊号は、『たくみ』という名称で1952(昭和27)年10月にたくみ工芸店から発行されました。大きさは今と同じA5判、リーフレット形式の小冊子でした。その2年後に東京民藝協会に発行元が変わると、昨年まで長年発行されてきたものと同様の中綴じ製本になり、55年に現在の『民藝』とタイトルを変更。57年11月号から日本民藝協会発行となり現在に至ります。

そのような歴史があり、『民藝』はこれまで多くの関係者の尽力で、68年間月刊誌として発行を続けてまいりましたが、2020年1月号より誌面をリニューアルいたしました。

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長い間、カラー16ページ、モノクロ64ページの計80ページの構成で、内容は民藝協会の事業報告や日本民藝館の所蔵品の紹介などが主でした。私が携わる以前(もう20年以上も前でしょうか)から、この本誌内容の変更を望む声が会員の方々から多数寄せられていました。しかし実際には変更できずに時間だけが経過しておりました。
そうした流れのなかで、近年の会員数減少に伴う本誌購読者数の減少が組織の存続を危ぶむ事態ともなり、さらに2019年の消費税増税と本誌の誌面変更がいよいよ待ったなしという状況になりました。2017年には日本民藝協会の役員改選時に広報普及委員会が発足。編集方針の変更を伴う本誌リニューアルの動きが進むこととなります。
こうしてこれまで会員の方々から出された要望を精査し委員会等で検討を重ね、主に以下の点を踏まえた編集方針を定め、具体的にリニューアル号に反映しました(反映した内容を→以下に記載します)。

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1、組織体制を明確にし、組織の方針が反映されやすい誌面に。
→広報普及委員会の下部組織に編集委員会を置き、組織体制を明確にするとともに情報伝達を行いやすくした。

2、入会したばかりの人でもわかりやすい内容を加える。
→カラーページを32ページとし、前半に特集関連図版を配置し、特集内容を視覚情報から先に伝える方法をとった。また、これまで文章に関連する挿絵はモノクロであったが、カラーとすることで情報量を増やした。柳宗悦の文章もなるべくわかりやすいものを選び、難読字には適宜ルビをふることとした。また、わかりにくい用語には解説を付すようにした。そのほか連載記事を増やし、民藝に対する興味の多様性にも対応できる内容とする。

3、現代の手仕事の紹介にも注力すること。
→日本民藝館展出品者や民藝協会会員の作り手を取材し、ものづくりの様子を多く掲載するように努める。

4、地域民藝協会の事務的情報を最小限にし、地域民藝協会発信の読み物を多くすること。
→地域民藝協会から協力委員を集め、多くの地域情報を集めるように努める(今後随時進める予定)。なお、会員への事務的情報などは、『民藝』以外の方法で各会員へ周知できるような体制を整えることとする(メール発信等)。

5、書店販売にも対応できるようにする。
→背表紙をつけることで、書店で平置きをせず本棚に縦置きしても内容が確認できるようにした。

以上のような変更を加えリニューアル号を発行しました。ちなみに、製作費を以前より上げないようにするため、ページ数は若干減らしましたが、これまでの号と見劣りしないように努めたことも付け加えておきます。 これまでの本誌を楽しみにお読みいただいた方には、以上のような状況であることをご理解いただき、引き続きご購読いただけましたら幸いです。

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2020年1月号の特集は「世界の人形」です。日本民藝協会が世界へ目を向けた発信をしていこうという意気込みも含んでいる、というのは私の個人的な意見ですが、会員のみなさまの協力のもと、より多くの方々にお読みいただけるような誌面づくりを目指して、発行していきたいと思います。今後ともご協力のほどよろしくお願いいたします。

定価870円(税込) 年間定期購読は10,920円(税込、送料込)です。
みなさまのご購読をお待ちしております。
http://www.nihon-mingeikyoukai.jp/info/mag2001/
(日本民藝協会・村上)

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2019年11月23日

バウハウスの映画上映「バウハウス100年映画祭」

今年は「バウハウス」が誕生した年1919年からちょうど100年、関係の映画6作品が一挙に上映される。
場所:渋谷ユーロスペース 渋谷駅から徒歩、渋谷文化村あたりを左折 03-3461-0211
期間:11月23日(土)〜12月12日(木)
映画:1「バウハウス原形と神話」バウハウスがたどった道を証言で明らかにする
2「バウハウス・スピリット」バウハウスの精神を引き継いだ現在のプロジェクト
3「バウハウスの女性たち」実は男性優位で進められたバウハウスの女性たち
4「ミース・オン・シーン」ミース・ファン・デル・ローエとバルセロナ・パビリオン
5「ファグス−グロピウスと近代建築の胎動」ファグス靴型工場の建築
6「マックス・ビル―絶対的な視点」マックス・ビルの生涯


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2019年09月15日

多津衛民芸館『平和と手仕事』24号

 民藝ブームのようである。しかしこれは実に危ういものだ。民藝を云々していられる結構な時間がいつまで続くものか、「薄氷のうえのブーム」だと思えてならない。
 例えば、あと一回原発が事故を起こしたらどうなるか。『原発ホワイトアウトアウト』(若杉冽著、2013年、講談社)という本がある。某国の工作員が、山の上にある送電線の鉄塔を破壊する。新潟某所の原発の電源喪失、大雪に阻まれて対応策が機能しない------と、よくできた設定で、しかもあっておかしくない話である。最近某国が盛んにナントカ飛翔体を飛ばしているが、それが飛んできても同じようなことだろう。今の日本は、《福島の悲劇に懲りなかった日本人は、今回の新崎原発事故(架空の場所----藤田注)でも、それが自分の日常生活に降りかからない限りは、また忘れる。喉元過ぎれば熱さを忘れる、日本人の宿痾であった。》という著者のいう通りになっている。
 心配事はそればかりではない。農業、林業分野においても、地域の過疎化、従事者の高齢化と後継者難、人手不足、そして(外国では禁止されている)除草剤の使用や遺伝子組み換え作物の自生化など、命と国土の存続そのものさえ危うくする事態が進行中である。------と、大きく出てしまったが、まじめに考えると夜も眠れない。私の場合は、俺だけは大丈夫だろうと都合のいいことを思って気楽に暮らしているのだが。

 小林多津衛民芸館という施設が長野県の佐久市にあって、ここが年1度『平和と手仕事』という雑誌を発行している。24号がこの9月に発行されて拝見した。今号は「過疎地に生きる若い世代」という特集で、佐久上田あたりに住む農業従事者ほかいろいろな若者の暮らしぶりを伝えている。
 こういう若者がどれくらいいて、実際の市なり町なりの全体にどの程度の影響を及ぼしているかは分からない。また、佐久は東京に近くて移り住むには比較的便利なところだろうから、こういうことが全国的に起こっているとは考えにくいだろう。何百年も続いてきた都市への集中という勢いを転倒させることは本当に難しい。国全体の大きな構想が必要なのだが、政府は外国人労働者の受け入れという禍根を残しかねない場当たりの対策しか考えていない。国全体がナントカナルダロウと今の繁栄に安住しているのだ。冒頭の本の著者が言う通りである。であれば、他力本願で無責任なのだが、こういう若者の出現に期待するしかないのかもしれない。ともかく、田舎、過疎地にもいろいろな生活の場がありそうなことを教えてくれる特集であった。

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 この雑誌はおよそ180ページあって、大変な時間と手間がかかっている。これを24号も、つまりは24年も発行し続けていることは大変なことである。「平和と手仕事」という書名からは民芸館とこの雑誌の願いが伺える。民芸館は、3年ばかり前に夏期学校が開かれていてご存知の方も多いと思うが、望月という旧中山道の宿場町の郊外にある。山の上の気持ちのいい場所に建っている。

多津衛民芸館 〒384-2202 長野県佐久市望月2030-4 電話1(プッシュホン)0267-53-0234
(藤田)

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2019年08月18日

新会員歓迎会&懇親会

8月10日の日本民藝館特別展の見学会のあと、東京民藝協会の新会員を対象にした歓迎会&懇親会を行いました。
昨年と今年にかけて12人ほどの方に入会いただきましたが、例会などの定例行事にご都合がつかない方もいらっしゃるため、今回改めて、たくみの野崎さんらとお声をかけ、交流の場を設けました。
当日は、会場となったべにや民芸店に、新会員と同世代の会員の合計16人(画像の撮影者は藤田さん)が集まりました。
一人一人時間をかけて自己紹介し、新会員の方には東京民藝協会に入られた経緯などをお話しいただきました。楽しい時間はあっという間に過ぎ、話し足りないうちにお開きになりました。
東京民藝協会では毎月の例会(勉強会)をはじめ、旅行会や新年会などを開催しておりますが、同時に会員同士が繋がり、今回のように楽しく交流できることも、入会されたメリットの一つだと思います。新会員は随時募集しておりますので、ご関心のある方はぜひお問い合わせください。
次回の懇親会は秋頃に予定しています。今回ご都合がつかなかった新会員の方も次の機会にお待ちしております。
(奥村)

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2019年03月08日

骨の洗い方-----映画「洗骨」

 変な表題をつけてみたが、単に映画の紹介、その内容全体の紹介でなくて、題材になっている「洗骨」という風習に限っての紹介です。

 民藝の世界ではよく知られる厨子甕ジーシーガミ、あれは本来は洗骨後の骨を納めるものだそうだ。たしかに、火葬後の骨はあれほどのかさはないような気がする。
 洗骨という風習は沖縄や奄美の南島にあって、かの地では土葬、火葬が行われない。風葬をして数年後にそれを洗い、厨子甕に納める。そして門中の大きな墓に先祖と共にまつる。墓の中にはたくさんの甕が並んでいるそうだ。こんな程度のことを聞いていたが、その実際を映像で見ることができる映画である。

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http://senkotsu-movie.com/

 墓、この映画では海に向かう崖に掘られた穴だが、入り口は石積、その石を外すと中に木棺(屈葬の)が置いてある。それを運び出して骨を取り出し洗う。頭蓋骨は椿油で清める。そして厨子甕に納めるのである。
 現在は沖縄、奄美でもほとんど火葬になっていて、この風習は沖縄の先島や奄美の一部にだけ残っているという。ずっと以前に新聞で読んだのだが、洗骨を実際にやるのは女性で、その女性たちから早く廃止してくれという声が上がっているがなかなか廃止されない、というような記事だった。この記事の影響もあってか、恐ろしい風習だという印象を抱いていた。しかしこの映画では神々しい家族の行為として描いている。

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http://okamoto-taro.okinawa/

 物語の展開は作りすぎという感想を持ったが、沖縄の美しい風物を見ることができる。ただの道や草木が美しい。これを書きながらもう一本の映画を思い出した。「岡本太郎の沖縄」という映画で、これも一部だが風葬を扱ったものだった。岡本が久高島の風葬の場に立ち入って、これに悪い噂がたった。それについて真相を明らかにしようとする内容が含まれている。複雑すぎてきちんと紹介できないので、こういう映画がありますというこ
とのみ。        
(藤田)
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2019年01月25日

「人間機械」という映画

 「人間機械」-----題名を聞いただけではどういう意味かわからない。しかし映画を見たら恐ろしいまでにピッタリの題名だと変な感心をする。原題は「MACHINES」だそうだ。インドの織物工場の中を撮影したドキュメンタリー映画で、人間が機械に組み込まれて過酷な労働をさせられている。ここでは機械と人間は混然一体で、だから人間機械だ。
 不衛生な暗い工場と機械の轟音、汚れたランニングシャツとゴムゾーリやはだしの労働者、過重な労働、もしわれわれが現実に目撃したら正視し続けることができないのではないか。監督は、撮影後難聴になったというから凄まじい。しかしこの現実が映像化されると、美しいと言えば美しい映像と律動的で迫力満点の音響の映画になる。-----現実を覆い隠しているわけではないが

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 少し前には「苦い銭」、もう少し前には「女工哀歌」、いずれも中国の縫製工場に取材した映画もある。そこでは出稼ぎ労働者が、やはり働きづめに働いている。田舎に残されるのは老人と子供で、中国の大きな社会問題になっている。残された幼い三姉妹の生活を追った「三姉妹〜雲南の子」という胸打つ映画があった。

 これらの映画に映された労働が生み出したものは、最後に先行国の人間に消費される。われわれはインドの綿布は安くて良いとか、このジーンズえらく安いとか言って喜んでいるわけだ。ここには持ちつ持たれつとばかり言いえない不平等の関係がある。
 -----だからどうだという続きが肝心なのだが、お定まり以上のことは書けないので、とりあえずご紹介のみ。
(藤田)

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