2024年11月21日

11月例会2つ オンライン例会と民藝館見学

 11月1日(金)オンラインの例会を行った。「ブータンの社会と工芸」と題して久保淳子(くぼあつこ)さんに映像を交えたお話を伺った。久保さんはブータンが好きなあまり2年間滞在したそうで、その後旅行ガイドとして20年以上にわたってたくさんの人をブータンに案内してきた。5年位前、私はインド北東部、中国とブータン王国の国境あたりを旅行したのだが、その旅行を企画し案内して下さったのが久保さんだった。それがご縁で、今回お話をお願いして引きうけていただいた。

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 1時間ちょうどでブータン王国の概要と染織などの工芸を、映像を交えてお話いただいた。あとで受講者に聞いたら、話がとても上手で聞きやすかったし内容も面白かった、もっと聞きたいという感想が多かった。
 ブータンといっても日本ではあまり馴染みがないだろう。わたしも「ブータン山の教室」と「ゲンボとタシの夢見るブータン」という映画を見たくらい、ネパールやチベットとの区別もつかない。久保さんのお話はわたしにとっては勿論だが、会員の皆さんにとっても初耳のことが多かったのではないだろか。
 印象深かったことをひとつ、それは民族衣装のもつ意味である。ブータンでは公の場で、男がゴという、女はキラという民族衣装を着用することが義務付けられている。生徒の制服ももちろんこれである。この背景には多分ブータン王国がおかれた特殊な環境があるのだろう。ブータンの立国は地政学的になかなか難しい。そのうえ、民族と言語も多様だという。このような環境下、どうやって国民の一体感を形成するか、その対応策の一つが民族衣装の着用義務ということではないだろうか。衣装が寒暖の調整といった役割のほかに、文化的歴史的な象徴として機能していることに改めて気づかされた。-----そういえば昔、永六輔が天皇に和服を着てもらおうという主張をしていたっけ。
 国民総幸福という考え方、王室やチベット仏教の存在も、国民意識の醸成、統合に寄与しているだろう。国民総幸福と聞いて、私のような気楽な外部の人間は感心したりしているのだが、話はそう単純ではない。大概の人は物質的により豊かな生活に憧れる。近年は若年層のオーストラリアへの出稼ぎが盛んで、国内の空洞化が問題になっているとか。そのオーストラリア出稼ぎの人々が、高額なゴやキラをどんどん注文してきて、一時衰退していた手織りが復活しているそうで、いやはや世の中は複雑である。
 このオンライン例会には、45人が参加して下さってこれまでで最高の人数だった。久保さんのファンが半分くらいいたような感じであった。
 久保さん、ありがとうございました。

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 なお、久保さんの活動は「ヤクランド」というホームページで拝見することができる。さらに、旅行報告やブータンのことを広く紹介する「ヤクランド通信」というパンフレットを月刊で発行、なんと最新号は123号である。その最新号の表紙の写真を載せさせていただいた。またさらにもう一つ上げた写真は「ブータンのカード織」という冊子の表紙である。これも久保さんが制作しておられる。以上の2冊とブータンその他の旅行について関心のある方は、上記ヤクランドを見て下さい。カード織のほうは私の手元に1冊あるので、欲しい人は言って下さい。1500円です。

 11月2日(土)に、民藝館の見学会を行った。
 特別展「芹沢_介の世界」の展示で、担当の古屋学芸員に忙しい中ご案内いただいた。今回の展示も観覧者が多くて、館の迷惑にならないか心配した(迷惑にはなっているだろうが)。観覧中、話に出たのは、どうして芹沢がこんなに人気があるのだろうということであった。参加者は25人。今回は希望者が多すぎて、締め切り日以後に申し込まれた方はお断りせざるを得なかった。
 古屋さんありがとうございました。
(藤田)


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松平斉光コラム 松平斉光とシャルロット=ペリアン

 民藝にはお馴染みの、フランス人女性デザイナーにシャルロット=ペリアン(1903-1999)がいる。彼女は、昭和2年に24歳でル・コルビュジエのアトリエに入り、そこに遅れて前川國男や坂倉準三が来て同僚となり日本との縁ができる。

 他方、民藝史上では馴染みがないが、確かに柳宗理らと交流があり、ペリアンの友人でもあった人物に松平斉光男爵がいる。昭和5年にパリ大学に留学し、昭和11年に博士論文「Les fêtes saisonnières au Japon (Province de Mikawa) : étude descriptive et sociologique」(「日本の季節の祭礼(三河地方) : 記述的・社会学的研究)」)を提出しパリ大学の文学博士号を取得する傍ら、昭和13年には画家として「Au coin de la rue (街角にて)」をサロン・ドートンヌに出品した斉光は、学者でもありアーティストでもあった。

 その頃の日本政府は、昭和4年の世界恐慌以来の不経済の脱却を、貿易による外貨獲得にも求め、昭和12年商工省貿易局を外局化して拡充し、貿易品としての工芸品の輸出を促進すべく外国人デザイナーの招聘を模索していた。昭和15年初頭、この件は宗悦の理解者である貿易局施設課長水谷良一から宗理へ、宗理からすでに日本に帰国していた坂倉へと相談が行き、坂倉がペリアンを推挙し、商工省と島屋を代表して棟方志功が認めた8メートルの書簡がペリアンへ贈られた。坂倉のフランス語文を志功が描いた、筆のフランス語による賞賛の文句と墨絵に口説き落とされたペリアンは、商工省の輸出工芸指導顧問としての来日を受諾した。

 昭和15年6月15日、マルセイユから日本郵船の白山丸が出帆し、一等客室の旅客としてペリアンは日本へ2ヶ月の船旅に出た。出帆の前日には、パリにドイツ軍が入城し、翌日には、フランス首相に就いたペタン元帥がドイツに降伏を申し入れるという時であり、岡本太郎や藤田嗣治も乗っていた日本への最後の帰還船でもあった。

 船上でペリアンが写るツーショット写真の男性が斉光男爵その人である。ペリアンの斉光を始めとする日本人との交友関係の研究が俟たれるが、この二人は気が合ったようで、ペリアンは斉光との邂逅を「重要となる出会い」と自叙伝に記している。
 
 ペリアンと斉光は東京で再会し、ペリアンの職務に関しては、昭和15年11月12日の仙台の工芸指導所東北支所でのペリアン座談会の相手は斉光であり、12月19日の巣鴨の工芸指導所のペリアン訪問、同23日の座談会は斉光・宗理の同道であった。この座談会では『工芸ニュース』に「通訳は松平成光〔ママ 斉光〕氏を煩はした事を附記し、御好意を陳謝する次第である。」と書かれており、斉光が好意で通訳をしてあげたようである。
 斉光は、昭和17年1月には、ペリアンが前月のインドシナでの展示会設営にハノイへ向かってのち台湾に向かい、戦争の影響で足止めを喰らったため、速やかに日本に戻れるよう皇室に働きかけをもし、坂倉らと出迎えにも行っている。
ペリアンはその後日本が進駐した南部フランス領インドシナのダラットで終戦を迎えた後、日本の敗戦とともにフランスからの独立を目指してベトナム人たちの反乱が起きるのを横目に、昭和21年2月に母国行きの引き揚げ船に乗った。
帰国後日本の友人たちを案じるペリアンは、昭和23年5月に坂倉へ宛て手紙を認めた。宛先は坂倉であるが、文面の宛名は「親愛なる友人たち」と書いてあり、気に掛ける人物の中に、文化学院創設者西村伊作娘ヨネ・宗悦・宗理らと斉光が入っている。
 戦後ペリアンは昭和28年に再来日を果たしてから晩年まで来日を重ねた。その時にどういう民藝界の人々や、場所を訪ねたのであろうか。
 日本と民藝を愛したペリアンへの興味は尽きない。

シャルロット=ペリアン(北代美和子訳)『シャルロット・ペリアン自伝』、みすず書房、2009
シャルロット・ペリアンと日本研究会『シャルロット・ペリアンと日本』、鹿島出版会、2011
工業技術院産業工芸試験所『工芸ニュース』10(4)、丸善、1941

(世川祐多)
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松戸市戸定歴史館「松平男爵家の軌跡」開催の告知

民藝協会の皆様、平素お世話になっております。会員の世川祐多と申します。

ただいま、研究員として勤務中の松戸市戸定歴史館にて「松平男爵家の軌跡」という展覧会を開催いたしております。
シャルロット・ペリアンと民藝の関わりについてのさらなる研究が俟たれますが、徳川家御家門の大名家、津山松平家の分家の松平男爵家の松平斉光氏は、パリ大学で博士号を取られ、シャルロット・ペリアンの友人となり、彼女の日本滞在の時に、諸々お世話をした事実が判明いたしました。
工芸指導所での講演では、柳宗理氏とともに付き添い、通訳もされておられます。

この度、松平家よりは、徳川慶喜公の弟で、パリ万博に将軍名代として派遣された松戸徳川家の徳川昭武公のご子孫でもいらっしゃるということで、御家の史料を一括で寄贈された次第です。
たまたまそんな中で、ペリアンと松平男爵の関係が再発見されました。

ペリアンと民藝についての研究の進展への期待や、当時の民藝運動に携わられた諸先輩方の顕彰も兼ねまして、民藝協会の方々に松平斉光氏をご記憶いただければとご案内させていただく次第でございます。

松戸市戸定歴史館は、昭武公が最後の水戸藩主を退任後、松戸で隠居され、終の住処とされた戸定邸に併設の歴史館となります。
戸定邸は知名度が低いながらも、珍しく明治時代の大名家の邸宅と庭園が残る国の重要文化財でして、建築をご覧いただくだけでも民藝協会の方々にはお楽しみいただけると存じます。

ぜひお足をお運びいただけましたら幸いに存じます。

また、戦後に何回も訪日したペリアンと直接お会いされた会員の方がいらっしゃいましたら、ヒストリーとして残さなくてはと存じますので、
ご一報いただけますと幸いです。
よろしくお願い申し上げます。

世川祐多 拝


企画展「松平男爵家の軌跡ー将軍とプリンスの子孫たちの近代」
会期
2024年10月5日(土)〜12月27日(金)
前期:2024年10月5日(土)〜11月10日(日)
後期:2024年11月12日(火)〜12月27日(金)
〒271-0092 松戸市松戸714番地の1
電話:047-362-2050






posted by 東京民藝協会 at 17:55| Comment(0) | レポート

2024年10月19日

11月例会のお知らせ

東京民藝協会 2024年11月オンライン例会
「ブータンの社会と工芸」
日時 2024年11月1日(金)19:00〜      
講師 久保淳子 ヤクランド(ブータンゆっくり勉強会)主宰

ブータン王国に長い間通ってその実情を見てこられた久保さんに、その社会と工芸の一端を映像を交えてご紹介いただきます。数年前に公開された『ブータン山の教室』という映画を見た方もいるかもしれませんが、まだまだ知られていないヒマラヤの小国、果たして「世界一幸福な国」なのか、そこにどんな染織の仕事があるか?
なお、事前に久保さんとブータンのことを知りたい方は、「ヤクランド」のHPを見て下さい。
https://yakland.jp/2024bhutan1

posted by 東京民藝協会 at 11:22| Comment(0) | 例会